コロナの世界における新しい学説

(私と鳥たちはソーシャルディスタンス。鳥たちは密!)

 昔、金融バブルについて説明していた著名なジャーナリストに、学生が尋ねた。「ではどのような状況になったらバブルがはじけたと判断出来るのですか」

 バブルがはじけるとは、つまり金融危機になり、株が暴落し、社会がごたつくという話だ。

 するとジャーナリストは答えた。

「実際には決め手はありません。それがなかったから、かつてのバブル崩壊で、日本は手痛い仕打ちを受けました。

 しかし私はかつての状況を見ていて考えますが、マーケットの推移は、常に上がったものは下がる、下がったものは上がるという一定のリズムを持っています。バブルの時はそれが上がったきりになりますが、それも必ず落ちます。ということがわかっているのに、ある日突然「いや実はまだ上がり続けるのだ」という新説を唱える人が出てきます。この新説が出てきたら、「ああ、もうバブル崩壊だな」と思ったらどうでしょうか。」

 ソーシャルディスタンス無用論

 宮沢孝幸京都大学ウイルス・再生医科学准教授が「ソーシャルディスタンスは無用」と唱えた。ソーシャルディスタンスは正しいが、マスクをしていれば、あえてソーシャルディスタンスをとる必要はない。またマスクをしていなくても、しゃべっていなければ、ソーシャルディスタンスは必要ない。事業によっては(例えば映画館、演劇、ライブなど)ソーシャルディスタンスを守っていたら営業できない業種はある。そこにソーシャルディスタンスを強要する必要はない。

 ウイルス感染は飛沫にのって口から放出され、それが他人の体内に取り込まれたことによって感染する。ソーシャルディスタンスは、それを防ぐ1つの方法であって、マスク、しゃべらないというのも方法の1つ。だからソーシャルディスタンスは、マスクや、しゃべらないことで置き換えられる。これは合理的だし、科学的な話。ウイルス学の教授だからその点は正確だろう。

 でも実用的ではない。

 ウイルス学の教授は、ウイルス学なのであって、人の社会的生活の実用性の専門家ではない。実際の政策を決める側はそのことを考慮すべきだし、庶民はそのことを理解した方がいい。

 例えば、劇場内でソーシャルディスタンスをせず、みっちり並んで座ったとする。全員マスク着用。おしゃべりもない。

 ただマスクが完全に密閉を作っていないことはご存じの通り。N95などの医療用マスクではないサージカルマスクは、不織布自体がウイルスを避ける力が合っても、顔に当たっている縁のところに隙間が出来やすいので、そこから息が漏れる。付け方の悪い人だと、鼻を出したりするが、当然鼻から息が漏れる。上気道、鼻の中にもウイルスはいるので、ウイルスが出てくる可能性はある。

 もし劇場内が暑くて、息苦しくなれば、そっとマスクを外す人もいるだろう。熱中症は避けなければならない。水を飲む人はいるだろう。飲食禁止でも水は飲む。当然マスクは外す。ぜんそく患者やのどがえがらっぽくなる人もいるだろう。マスク越しでも咳はする。マスクの隙間から息が漏れる。

 漏れたウイルスはすぐそばにいる人に近づく。

 マスクは飛沫を飛ばさない効果は高い。自分の呼吸器官に入ってくるのを避ける力もないことはないという。しかし、マスクには隙間もあるし、30%なら後の70%分は、吸い込んでしまう可能性がある。

 だれかが、映画に興奮して隣の友達と突然話し始めたら。ウイルスはマスクの隙間から漏れてくる。こういうとき「だまれ!」と一括できる観客はいるだろうか。

 漏れ出たウイルスは、隣の観客に忍び寄る。

 ここで上げたようなことは普通に起きる。起きたとき、ソーシャルディスタンスがないと逃げ場がない。

 だがソーシャルディスタンスは、すべての状況において、ウイルスが人間に到達することをかなり避けてくれる。離れているウイルスは飛んでこない確率が高い。

 (あと、空調や空気の流れによってウイルスが飛ぶ可能性があるなら、喚起をしましょう。)

 答えは簡単だ。ウイルス対策は合わせ技が安全だ。

 自分が守っても、誰かが守らなかったとき、そこに100%巻き込まれるのは嫌だと思うなら(思うだろう、普通は)ソーシャルディスタンスをとっておいた方が安全だ。

 ということで、出来るだけソーシャルディスタンスをとった方が安心だと言うことになる。一度に決まった範囲にたくさんの人を入れると、もしそこでウイルスが出たとき、クラスターも大きくなる。これを小さくしておいた方が、劇場側のリスクも小さくなる。だからソーシャルディスタンスは有用だ。

 ソーシャルディスタンスは、観客においてのみならず、劇場側、球場側、店側にとっても保険になる。

 みんなが防毒マスクをしてくれるならソーシャルディスタンスはいらないかもしれないが、サージカルマスクなら保険があった方がいいと思う。

「旅行に行くことで感染するのではなく旅行先で3密になることで感染の可能性が高まるとしリスクの高い状況を作らないようにすることが重要」

 新型コロナウイルス感染症対策分科会長 尾身茂氏の発言

 全くその通りで。旅行先で3密になって感染のリスクを負うことは避けるべきだ。逆に感染リスクを高めなければ、旅行しても問題はない。

 だが、3密リスクはたくさんある。たまたまよく知らずに入ったレストランが人でいっぱいに混んでいた。本来すいているはずのレジャー施設が、何らかのアクシデントで混んでいた。旅館で風呂には行ったら、偶然にも、ドヤっと客が20人くらい一緒に入ってきた。

 自分が3密を気にしていても、そうならない突発的事件はあり得るし、旅先では地の利も悪いし、回避の方法がままならない。

 良いと思って泊まった宿の感染対策がいい加減だった(現在GO TOキャンペーンでは、感染症対策が不十分な宿は対象外としているが、実際の政府からの感染対策は必ずしも細かいところまで規定はされておらず、温泉の入り方などは施設によって状況が異なるため、宿まかせになる可能性が高い。その状況を客が訪れる前に確実に知る事は難しい。また対策をとっていても客側の横暴として、3密が起こる可能性はある。宿としてはそういう客には出て行ってもらいたいだろうが、日本の慣例として、即座に退去を願うことは難しく、多少の時間はかかる。)

 ウイルスにとって、わずか数分であっても、3密があれば、感染は容易である。

 3密を避ける事は感染対策になる。本当に3密を避ければ感染対策になるのか、3密を避けても感染するのではないか、などという議論は多いが、問題は、3密は本当に避けられるものなのかということである。突発事校によって、一瞬、3密になる時はある。小池都知事が、普通にぶら下がり会見をするとき、「密です、密です」と言って、記者を離れさせたことがあった。こういう風に密は突然やってくる。

 日常でもそうだ。でもなるべく避ける事でリスクとなるべく避ける。それしかやりようがない。確率の問題で、確率を下げるようにしているだけのこと。だから完璧はない。しかし生活圏の中にいる間は、そこでたとえ感染しても、生活圏の中だ。これは最初から想定されている。

 しかし旅行先で突発的な密が起こり、避けられず感染したとして、その場所は旅行しなければ行かなかった場所。そこで罹患して、自宅に持ち帰るリスクと、知らないうちに自分が感染していて、その土地にウイルスをおいてきてしまうリスク。

 いずれにしても、広域でのウイルス感染を避けたいのが目的なら、それを完璧に避けるためには旅行しないことだ。

 不要不急の旅行をしないというのは、例えば実家の両親が病気になって看病に行くとか、親戚の葬式に行くとか、必要なビジネスで出張するとか、そういうことを指していない。必要な旅行は仕方がないので、3密を避けるようにして行ってくる。不要不急なら止める。

 旅行しないのが一番リスクが低いからだ。

 感染を広げて誰かの命を逼迫させるより、旅行に行く楽しみの方が優先するのが当たり前の社会なら、誰もこんなことで悩まない。そうではないからこそ考える。この事実は変わらないはずだ。

 3密のリスクを下げればいいというなら、「防毒マスクして旅行すれば大丈夫」ぐらいのことを言ったらいいんじゃないか。ウイルス学的にこの方が正しい。

 防毒マスクの実用性のなさは、3密を完璧に避けるのと同じぐらいだと思うが。

誰も知らない新説が突然出てくることはまずない

 そもそも新型コロナに関しては、世界中の学者が調べていて、その結果たくさんの答えが出て、それをもんでもんで、今の指針が出来ている。当然これからもいろいろ指針は変更するのだが、ともかく1つに集約されるときに相当の検討がなされている。その結果として、感染症対策の基本が、今回も有効だとされている。

 それは、手指消毒、マスク、ソーシャルディスタンス。物品の共用を避け、まめに手を触れるところを消毒、

 ペストの昔からだいたいやってることは同じだった。

 そこから考えれば、広域での旅行は感染を広げるだけだと言うことは誰でもすぐわかる。もう少し前なら、首都圏でも東京都以外の地区では感染者の割合がかなり違っていたが、現在では東京以外の首都圏でも感染者がどんどん増えている。PCR検査した人数と、陽性の人数の比率を比べたとき、既に大阪と東京がかなり近い値になっている。

 また、日本の広い地域で感染者が増えている。

 こう見ると、これ以上地方に感染を広げることは得策ではなく、感染者の多い都心部から地方への旅行は避けた方が良いと考えるのが普通ではないのか。

 そもそも世界を見ると、感染症対策はソーシャルディスタンスだった。マスクは世界に普及しているとはいえなかったからだ。たまたま日本がマスクの普及率が高かったので、ソーシャルディスタンスよりマスクの方が先だっただけだ。距離をとれば感染しないのは自明のことで、それが一番確実である。どうしても近づかなければならないときに、マスクやらフェイスガードやらが必要になってくるわけで、離れていられるなら離れていたほうが確実だ。

 考え方を柔軟にすることは必要だ。解決への道につながるときがある。しかし、新説というのは滅多に出てこないということも覚えておきたい。まずは疑ってかかることも必要だ。

 それからもう一つ。

 新説が出たとき、それがそれまで言われてきた多くの説との間に、ある程度の整合性があり、合理的に考えて納得いく説かどうか。この合理性は、別にウイルスの専門的知識はいらない。普通の人が考える、普通の合理性だ。

 合理的な説明によって解説されているか。特に説を唱える本人が、合理的に説明できているか。

 ウイルス学は知らなくても、人間が合理的に説明しているかどうかは、聴いていると割とわかるものだ。

 

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