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昔の自民党は

 現在の自民党は、安倍政権に見られるように官邸主導で、内閣の要職は論功行賞で決まり、しかし安部氏が気に入らない人は内閣に入らないという人事をしている。結果として安部氏派自分を脅かす人を内閣に入れないので、ほぼ安部氏より無能な人間しか内閣に入らないから、質の低い内閣になってしまった。

 これは第一次安倍内閣でも同じで、お友達内閣と揶揄されるゆえんだろう。

 田崎という政治記者は、それが組織というものだと豪語し、自民党の伝統と言うが、それは違う。

 田崎という人の年齢を考えれば、当然知っていることだと思うのだが、昔の自民党はそういうわけではなかった。

 昔の自民党では、総裁選が始まり、候補者が出そろうと、そこに出てきた候補者は、誰が総理になろうと、次の内閣に入る。それがほとんど例外なく行われていた。総裁選に出るには、党内議員20人の推薦が必要であるし、出たいひとが誰でも出られるというわけではない。やはりそれなりの実績、人望があってこそ出られる。つまり総裁選の土俵に立てるというだけで、相当の淘汰が行われている。

 首相となる自民党総裁に選ばれた人物と、それに並び称される人物が、必ず同じ内閣にいるというのが、昔の自民党だった。当時は、総裁選では、たいてい派閥の長が並ぶことになるので、それがそのまま内閣の大臣になる。後は各派閥から何人内閣に入ってくるかと言うことで、裏で争いはあるわけだが、ある意味自派閥の人間を何人内閣に入れるかというレースに参加するためには、必ず総裁選に出るぐらいの実力を持っていなければならない、というのが派閥の長に課せられた責務、という感じだった。

 小泉政権の時に派閥政治をやめようという事になり、このあたりからこういう流れがなくなってくるわけだが、昔の派閥政治の功罪はさておき、今より良かったことを言えば、内閣の大臣それぞれが、総理と同じぐらいの力のある議員だと言うことだ。それぞれ力があり、互いににらみをきかせているから、総理といえど、常に緊張感を持ってやらないといけない圧迫感があった。

 ただし、現在と違うのは、こうして互いに牽制し合う間柄の政治家がそろっていても、内閣として仕事をするときには、確実に協力し合っていた。

 当時の内閣で、互いが牽制し合って、内閣が空転すると言うことはなかった。国を運営するために、必ず行うべき事は確実に行う。自分の役目はきっちり果たす。そういう意味で、ぐずぐずの大臣などほとんどいなかった。失言やスキャンダルなどやろうものなら、全く許されない空気があるから、皆緊張して仕事に及んでいた。

 自民党は党内野党が存在する政党で、タカ派とハト派といわれるように、リベラルに近い考えから、右寄りの考えまで幅が広い政党だった。従って一党独裁状態とはいえ、党内では様々な意見がぶつかり合い、そこで修練された政策が実行されていた。

 現在の安倍内閣が右傾化しているといわれるのは、昔の内閣と比較して、戦争や憲法に対する認識がだいぶ違うからだろう。

 例えば、自衛隊の取り扱い方などはかなり差がある。考えてみれば、小泉内閣以前の自民党の重鎮は、実際に将校として戦争に行った議員もいた。こうした人たちの多くは、戦争に反対はしても、日本を守るための軍備には理解があった。この世代は、世界のきな臭さを知っているから、国際関係が性善説ではうまくいかないことを知っている。軍事的優位性は、自国を守るためには絶対に必要だと言うこともわかっていた。何せ、ほとんどは冷戦時代を生きてきた人たちだ。

 それでも、憲法九条を改正するに至らなかったのは、党内にそれを反対する強い勢力がいたからということになる。野党が怖かった時代ではない。今よりは強い野党がいたが、自民党に取って代わるほどではなかった。

 国民の民意もあったのだが、自民党内に、憲法九条の改正を阻止する力があった。一方で、九条を変えたいという勢力もあった。その2つがせめぎ合っている時代だった。

 いずれにしても、力のある議員が、内閣に集い、互いにしのぎを削りながら、国政に力を注ぐことで勢力を伸ばそうとしていた。国難となれば、自分の権力ばかり見ていたら、逆に足下をすくわれる。そういう緊張関係が存在することによって、政治家は厳しく鍛えられていたと思う。

 小泉内閣以降の政治の脆弱性

 派閥政治の弊害がかなり言われるようになって、小泉氏は派閥をなくすることが命題となった総理だった。実際小泉氏はどの派閥の世話にはならないと言うことを実現した人で、自分のいた派閥さえ、義理を欠いてしまうほど、独立独歩の人だった。ある意味希有な政治家で、現在までも小泉さんほど本当に派閥を無視して、自分1人で総理をやりきった人はいない。

 いろいろ政策には問題があった人だが、政治家のあり方としては、実は最も政治家らしい人だったのかもしれない。自分を支持している人に、義理を返すこともせず、敵に回った人でも使えれば使ってしまっていた。

 小泉氏は、本当に派閥を壊した人だし、派閥を必要としない政治家の姿勢を表した人だが、その後の総理になった人は、違う意味で派閥を認める政治に戻ってしまう。ただし、昔の派閥政治の利点であった、内閣内の緊張感は失われることになる。総裁になった(総理になった)人物が、自分が御しやすい人しか内閣に入れなくなったからだ。つまり内閣のトップに立つ人がすべてを仕切ってしまうようになった。

 それが最もよく出たのが安倍内閣で、いわゆる『お友達内閣』である。安倍内閣は論功行賞であり、何より安倍首相を追い越さない人しか内閣には入れない。安部氏自身もそれほど優秀な人とは思えないが、それよりさらに能力の落ちる人しか内閣に入らないのだから、当然内閣に質は落ちる。

 現実には管官房長官が、安倍首相より政治力があり、実質的に内閣を仕切ってきたわけだが、第二次安倍内閣で、この人が官房長官で有り続けた理由は、まさに論功行賞だった。管氏は選挙に強く、一度失敗した安部氏を総裁選に押しだし、勝つために尽力した。

 田崎氏が組織論を展開するのは、あくまで小泉内閣後の話である。

 決してそれが、自民党の伝統ではない。単なる最近の傾向に過ぎない。

 派閥政治がいいとは言わないが、本来は野党がもっと強ければ、政治に緊張感が生まれるのだが、野党が弱すぎる現在、自民党内も安部一色だった安倍政権は、政治的偏りが是正できない、最悪の時期といえた。

 伝統は良いものという印象が強いが、少なくとも現在の内閣のあり方は、自民党の伝統ではない。自民党のなれの果てという方が正しい。


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