自助、共助の推奨は国の無策の証明
(恥を知れ 管)
次期総理候補に管官房長官が出馬表明した。
マスコミに出て本人が言ったキーワードは『自助、共助、公助』
まずは自分で出来ることはする。次に近隣の協力で助け合う、それでも無理なら国が助ける。
これを聞いたとき怒鳴りたくなった。
国(政府)の役目とは何か。
それは、国民を助けることだ。国民の生活を保障し、国民の生命を守る。そのために国民は税金を納め、国会議員を選び、それに特権を与えている。民主主義国における主権は国民にある。主権は我々にあるのであって、国会議員にあるのではない。
その国が、政府が、『自分で努力しろ、周りと努力しろ、それでも無理なら助けてやらんでもない』などと、まるで施しでも与えるように、上から目線でものを言うなど、言語道断も甚だしい。
恥を知れと言いたい。
本来、自助、共助、公助という言葉は、災害などにおける自衛を表した言葉だ。本来災害が起きて、家が壊れたり、孤立したり、怪我をしたりしたら、当然政府が(自治体が)救助するのが当たり前である。しかし現実の災害では、自衛隊が地震が起きた直後に助けに来られるかと言えば、そうでもない。このことは度重なる災害の中から、国民自身が学んできたことだ。そこで、公助は当たり前としても、それが届くまでの間、少しでも被害と被害者を少なくするための知恵として、自助で出来ること、また近隣との協力による共助で出来ることを考え、実行した方がいいのではないかという話だ。
災害が起きて苦しいのは本人であるから、お題目はともかくとして、やはり準備はした方がいい。本来いち早く災害対策をすべき政府だが、残念ながら日本の政府はまだまだ力不足。
こういうときに日本人は、文句言ったり、抗議したりする前に、さっさと自分で解決しようとする。こういう日本人気質が言い出した言葉が、『自助、共助、公助』だ。言い換えれば、緊急時に頼りになる順番のことで、公助が一番頼りにならないという揶揄でもある。
とすれば、この言葉を言われること自体、政府は恥じなければならない。
それを何をとち狂うたか、まるでそれが国民の不文律であるかのように、平然と『自助、共助、公助』フリップ作って公言したのが管官房長官だ。
以前から態度がでかいと思ったことは多々あったが、次期総理が確実視されたことで、ますます態度がでかくなったらしい。
菅官房長官の暴策は、今に始まったことではない。
管官房長官の実績と言えば、「ふるさと納税」「GoToキャンペーン」などが有名だが、本人が主張する中には、『利水ダムの治水活用』がある。
ダムの中には、治水に使われるものと、利水につかわれるものがあり、管轄する役所が違うらしい。
治水というのは、災害時の洪水などを防ぐための機能がある。利水ダムは、農業などに使うための水を蓄える目的がある。
昨今の気象の変化によって、水害はかなり深刻になっている。治水ダムは、以前よりその役割が大きくなっているが、治水ダムだけではなかなか間に合わなくなってきたという事がある。そこで、利水ダムも利用しようという話だ。
実際に何をするかというと、事前にたまっている水を放水しておいて、降水量が増え始めたら、それをため込んで、下流に大量の水が流れないようにする。
治水に使えるダムが増えるわけだから、それだけ洪水対策が強くなる。
ただその一方で問題もある。
利水ダムは、農業のための水をためておくダムだから、水害が終わった後に、元のように水がたまっていないと困る。利水ダムの水がなくなったら農業が出来なくなるからだ。
ところが災害時の放水は、それほどうまくいかない。まず降水量が増えてくるより前に、水を放水しないといけない。降水量が増えてからの放水だと、返って下流の水量が増えすぎて危険だからだ。
しかし水害の予想はなかなか難しいところがあって、放水をしたからといって、必ずまた水がたまってくれるとは限らないところがあるらしい。思ったより降水量が少なければ、大事な水が補充されない。補充されると思われるだけの水を、事前に放水することはかなり難しいことらしく、その点の問題は残っている。
利水ダムを利用するために、省庁を越えた調整をしたと言うことを、管官房長官は自分の実績としているわけだが、現実の運営面での問題は、まだ残っている。こちらの問題の方が深刻なのだが。
「Go Toキャンペーン」も「ふるさと納税」も 公正、公平に問題あり
管官房長官の実績に共通していることは、確かに大きな利益を上げる事に成功した政策がある事だ。やってはみたが、成功しているのか失敗しているのかよくわからない、アドバルーンを上げただけの政策が多い中で、確かに管官房長官の政策の多くは、確実な利益を上げている。
ただその利益が一部の人の利益にとどまっている事が共通している。
さらにその政策はいつも、公正、公平という意味で問題がある。
「GoToキャンペーン」の問題点は既に明らかだ。
確かに大型助成制度で、その成果は大きいと予想されるが、おかげで新型コロナの感染が拡大する可能性が大きくなりつつある。ここ数日で、Go Toキャンペーンに参加している複数の宿から感染者が見つかっているし、今後調査が行われれば、いろいろな問題点が出てきそうだ。当然広範囲に人を移動させようとする政策だから、コロナ禍で行えば感染拡大の問題は出て当たり前だ。
それにGo Toキャンペーンはその仕組み上、大規模で、高級(宿泊料金の高い)宿泊施設では恩恵があるが、低価格の宿泊施設ではほとんど恩恵がないということがわかっている。
また仕組みが複雑すぎて、小規模でスタッフの少ない宿泊施設では、導入するための手続きすら負担になるという事が起こっている。
結果として全国チェーン展開をしているような、大規模な宿泊施設や、旅行会社、旅行予約サイトに取ってだけ、お得なキャンペーンと言うことになっている。
本来コロナ禍において、経済的に困窮している旅行業界を助けるために作られたのがGo Toキャンペーンだったはずなのだが、おそらく最も困窮している中小の宿泊施設などには、ほとんど恩恵がないキャンペーンとなっている。
キャンペーン全体の予算には上限があり、利用は早い者勝ちになっているわけだが、ご存じのように東京発着の旅行はこのキャンペーンから外されており、同じように税金を払っている都民は、恩恵を得られない形となっている。
そもそも、多くに自治体において、同じ県内、もしくは近隣の県同士の狭い範囲でのみ有効な旅行割引キャンペーンが行われており、これは中小の施設も含めてかなり利用されて、利益も上げている。狭い範囲での利用ということでコロナの感染拡大も最小限に抑える配慮もある。
しかしGo Toキャンペーンは全国を範囲にしており、感染拡大が心配されるし、中小の宿泊施設には恩恵が薄い。どう見ても各自治体で行われているキャンペーンの方が優れているわけで、わざわざ官房長官が無駄なキャンペーンを張る必要はなかった。むしろ自治体が行っているキャンペーンに予算的な助けを行った方がずっと理にかなっていた。
Go Toキャンペーンは、確かに利益は上げる。しかし公平に恩恵がある政策ではない。
ふるさと納税に至っては、公正ですらない。
ふるさと納税は、自分が住む自治体に払うべき税金の約半分を、別の自治体に支払うことが出来る制度だ。支払う先の自治体は自分で選択することができ、またその自治体から返礼品を受け取ることも出来る。
これは任意の自治体への寄付と同じで、その分年末の確定申告で、税金が控除される。
この仕組みによって、選ばれた任意の自治体には住民以外からの納税が行われ、財政が潤う。反面、本来入るべき税収を、実質的に他の自治体に取られてしまう納税者の住む自治体は、しかし納税者が求める行政サービスは提供しなければならない。つまりふるさと納税した人は、税金の控除によってお得になるし、返礼品が受け取れればさらにお得なのだが、この人がよそに支払ってしまった税金の分は、ふるさと納税をしていないほかの住民によってカバーされることになる。
結果として、税収が減ってしまった自治体は、今までと同じ行政サービスを住人に提供できるかどうか、かなり苦慮する結果となった。
税金の基本は、公平性と公正性。
ふるさと納税は、本当に一部の人しか恩恵を受けていない。ふるさと納税された自治体と納税した人は恩恵があるのだが、納税した人が住んでいる自治体は損をしただけでなく、そこに住んでいるほかの住民が損をしている。
ふるさと納税に全く関与せず、悪いことは何にもしていない、まじめに納税している多くの住民が、損をしているわけだ。
本来、地方自治体が困窮していたら国が援助する。各自治体から納税の一部を集め、困っている自治体に再配分するのは国の仕事だった。それを手抜きした上で、国民に肩代わりさせた政策が『ふるさと納税』である。
返礼品があるおかげで、多くの人が利用することとなったが、一部の人だけが恩恵を受け、他の人が損をするという、税金としてはあってはならない制度になってしまっている。
国の本来の役割は何なのか
国会議員が政策を作り、それで成果を上げると、その恩恵は実績という形で本人に返ってくる。実績を持った国会議員は、やがて内閣の役職を得て、出世するわけだが、管氏もそうなったわけだ。
しかしそもそも政策とは、国民のためにあるのだし、国は営利企業ではない。利益を上げることが目的なのではなく、公平、公正に利益を再配分することが目的といえる。
ところが、管氏は目立つ政策を実行した。彼自身の実績にはなるが、その結果は公正とか公平とか言ったものとはかけはなれている。被害を受けるのは国民だ。
管氏の出世のために、国民は無駄な被害を受けていることになる。
政治家なんてそんなもの、といえばそれまでだが、少なくとも「そんなもの」だという認識はきちんと持っていた方が良さそうだ。
苦労人とか、忍耐の人とか、実行力があるとか、いろいろ言われている管氏。今日は一日管氏のバックボーンストーリーをさんざんTVでやっていたが、正直どうでも良かった。政治家の成長ストーリーなど、嘘ではなくても本当でもないからだ。都合のいいことしかピックアップしていない。
管氏は不思議なことに、自分の若い頃を、田舎の貧しい青年で、豊かな生活を求めて都心に出てきたというストーリーを作りたかったようだ。実家にいた頃は、どこにでもあるようなつまらない人生だったとでも言わんばかりだったが、その時代よくあるサクセスストーリーを作りたかったのだろうか。
番組に出ていた政治記者によると、管氏の父親は、郷里では有名な人だったらしい。後に町会議員か何かになるのだが、貧しかった郷里のために、イチゴの品種改良に尽力し、農家の収入を確保したらしい。現在でも父親の名前がついたイチゴが作られているという。かなり希有で、面白い話だが、管氏自身のHPにはそのことが全く触れられていないそうだ。
別に経歴詐称と言うほどではないが、管氏にとっては郷里に尽力した父親のことは、触れたくないことのようだ。
その一方、管氏は、自分は田舎の出身で、いつでも田舎の生活を忘れたことはなく、そこに尽力したいと思っている といっていた。
え? 横浜に出てきて、そこで選挙に出たのに。
実家でイチゴ作った方が、わかりやすく田舎に尽力しているような気がするが。
公平、公正でもあろうし。