母なる港…、この30年、船とのご縁が多々。事務所が氷川丸の中にあった時も。原点は、あのお母さん丸だったのか。
❶お母さん丸/1995年
ランドマークタワーで開催した、7月30日の乾杯イベント「天晴れ、元気な女の夏祭り」のポスターを描いてくれたのは、横浜の著名なグラフィックデザイナーの中川憲造さんだった。私たちの活動の話を聞いて、横浜からお母さんたちの船が続々と出航するシーンを表現してくれた。この船のデザインで、お母さんが夢に乾杯するビールも制作。この日、何艘もの「お母さん丸」が、横浜港を出港した。今思うと、私の活動のはじまりは、ここだったかも知れない。長いお母さんを笑顔にする航海のはじまり。あのときはわからなかったけど、この船こそが、「お母さん丸」だったのかも。
❷はまどり(横浜市海事広報艇)/1999年
お母さん業界新聞を創刊した時、当時、横浜市港湾局の部長だった光田清隆さんが、お母さんたちを乗せて、船から横浜港を案内してくれた。光田さんは、その後、パシフィコ横浜の社長になられたが、ずいぶん応援してもらった。20年余り、横浜港を案内していた「はまどり」は引退し、今は、観光船「マリーンシャトル」として市民や観光客をおもてなししている。お母さん業界新聞は、まだ引退していないよ。光田さんから教えてもらった「ガントリークレーン」が、忘れられない。いつも、遠くから見て、海のキリンと思っていたが…。
❺日本丸/1999年
7月30日は、子育てにがんばっているお母さんたちが、夢に乾杯する日。毎年、恒例の乾杯イベントを、「日本丸」で開催させてもらった。美しい帆船日本丸をバックに、生演奏やダンスで盛り上がった。
❸トランタン丸/2004年
お母さんたちが発信する場、ブログサイト「トランタン丸」。名前は、旧社名のトランタンネットワーク新聞社からとって「トランタン丸」。当時は、ITがあまり普及していない時代だったが、神奈川県経営者福祉振興財団の部長だった桑原茂さんが、私たちの活動に共感し、お母さんたちが発信するサイトをつくってくれた。うれしいことに、先日、その桑原さんからお電話をいただいた。今も、こうして応援してくださる方たちがいることに感謝。
❸氷川丸/2005年
山下公園に係留されている美しい船「氷川丸」の船室が、お母さん業界新聞社のオフィスだった。風が強い日は揺れ、床は斜めに傾いていた。オフィス環境としてはいまいちだが、歴史と優美さを感じる船で、甲板に出れば海を感じる最高の場所だった。「もう一度、この船を航海させたい」と思った。わずか2年間だったが、忘れられない場になった。
❹ダイヤモンド・プリンセス/2020年
日本のクルーズ振興や客船誘致活動に寄与したと「クルーズ・オブ・ザ・イヤー2019」特別賞に選ばれた横浜港。2019年10月、横浜ハンマーヘッドがオープン。11月に初入港した、豪華客船「ダイヤモンド・プリンセス」をバックに、「お母さん業界新聞横浜版」新年号の表紙撮影を行った。お母さんたちは、宝石のように輝く優雅な女王を見て、夢を重ねた。が、残念なことに、翌月、新型コロナウイルスがこの船の乗客を襲った。
❺日本丸/2022年
この春、日本丸メモリアルパークタワーに、お母さんのアジトをつくる。海が近い。北に観覧車、南に日本丸、西にランドマークタワー、東に運河を臨み、階下に水陸両用バス SKY Duckを眺める、ザ・横浜なロケーション。ここで、お母さんたちと夢を語りたい。海のお産処。孤育てをなくし、お母さんたちが笑顔になる未来事業を、どんどん産み出していきたい。