前略 お母さん大学の「おふくろさま」
私が運営しているお母さん大学は、老若男女響学。
昨年末、最高齢のお母さん大学生、手塚俊孝さん(88歳)のご子息から
「父が急逝した」との連絡をいただいた。
お母さん業界新聞では、コラムや川柳を書き、お母さんたちを癒してくれた手塚さん。
いくつものご一緒した場面が思い出され、胸がいっぱいに。
手塚さんとの出会いは、遡ること15年前。
手塚さんのお父様を取材したことがきっかけだった。
手塚さんのお父様は、当時101歳の湘南ボーイ。(トップ画像右)
ダンディでインテリなおじいちゃん。
家族に迷惑をかけたくないと、一人暮らしをしていらしたが、
友だちがたくさんいて、地域の有名人だった。
お住まいは、湘南の海を臨むマンションの4階。
だが、健康のためと、エレベーターは使わず、階段を昇り降り。
遊びに行くと、手づくりのいなり寿司を用意してくれる素敵な方だった。
「いくつになっても、おやじには勝てない」と、
常にお父様をリスペクトしていた息子のトシさん(俊孝さん)だが、
そのお姿や生き方は、父上に負けず、素敵な方だった。
2年前にトシさんが投稿してくれた、お母さん大学の宿題「誕生日に母を語る」(記事)がある。
トシさんへの追悼の意を込めて、紹介したい。
お母さん大学のお母さんたちが、どれほど未来をつくっているか、トシさんの記事からわかる。
『おふくろさま』
若い頃から実母を呼ぶときは「オフクロ」と呼び捨てで、
表記はカタカナにしてきました。
けれども今は、実母も「カミサン」も含めて、お母さん方を呼ぶときは、
「おふくろさま」と敬称付きで、表記は平仮名にしています。
こういう使い分けをするようになったのは、
私が「お母さん大学」に入学してからです。
それまでの私は、母親という存在にほとんど無関心でした。
自分が育ったのは自然の成り行きで、社会へ出てからは何もかもを
自分の力で成し遂げているんだと思い込んでいました。
この世は男が取り仕切っているとも思っていたんです。
いわば男社会にドップリ浸っていたんでしょう。
もちろん1人の娘と2人の息子の子育ては、100%「カミサン」任せで、
三度三度の食事に、不思議を感じたこともありませんでした。
ところが、古希になった頃、
お母さん大学サイトで、同級生(お母さん方)の記事を目にし、
皆さんの日常の一端と喜怒哀楽のご心情に触れて、
「お母さん」という存在に、目を回しちゃったんです。
戦争中に命懸けで守ってくれた「オフクロ」への思いもアリアリと蘇りました。
日頃何かとうるさい「カミサン」にも陰で?頭を下げています。
それまでの自分が、
お釈迦様の掌の上で好き放題をやらかしていた孫悟空のように思えたんです。
そうか、これが「母性」というものなのか!
心からの尊崇の思いで、まったくえらい気付きでした。
最早手遅れもいいところですが、以来、お子さんが居られようが居られまいが、
母性そのものを「おふくろさま」と呼ぶようになったというわけです。
たまの外出で、お子さん連れのお母さんに出会った時、
なぜか胸が熱くなり、手を合わせたい気分になるんです。
私を改心させてくださった
お母さん大学の「おふくろさま」、ありがとうございます。
86歳になってしまいましたが、
この先もどうかどうか掌の上であやしてください。
(令和元年12月誕生日・手塚俊孝)
トシさん!
今頃、愛するお父様とおふくろさまに抱かれ、笑顔のトシさんでいるのでしょう。
これからも、お母さんたちを、空の上から応援してください。
どうか安らかに。心から、ご冥福をお祈りいたします。(藤本裕子)
写真は、手塚さん親子と、銀座でウインドウショッピング。
同行してくれたのは、シニアファッション研究所の岩佐俊一さん。