理解されるということ
先日の投稿について、たくさんのリアクションをいただきありがとうございます!!!
そして「性別」について、ぼくと同じような悩みがあったり境遇が似ていたりする方もいらしたようで、少し安心しました。
みんながカミングアウトした方がいいとは思わないけど、こういったときに自分の「意見」を言ってみるっていうのはなかなか意義があるのだなぁと思いました。あと少しだけ自信もつきました。
今日はこの投稿の追記、というわけでもないですが、Twitterの投稿などを眺めていて、そういえば。と思ったことがあったので書いてみます。
10年くらい前の話。ぼくが家族と食事をしていたときに、ふと母が
「アンタはさぁ、女の子の方が好きとか、そういうんじゃないよね?」
と、けっこう真剣なトーンで聴いてきて驚いたことがありました。
ぼくは自分の恋人を親に紹介したことがなくて、しかもいつも少年のような服ばかり好んで着ているから、母が「心配した」ようだったのです。ぼくはそのとき「そんなことないよ」って言ったけど、今でも恋人を紹介できていません(そういうご縁がなかっただけの話)。
そのときにわかったのは
「ぼくの親は、自分の娘が同性愛者だったら嫌なんだな」ということ。
今はメディアでもLGBTについて取り上げられることも多いし、少しずつだけど理解も深まってきていると思うのだけど、ぼくの親世代(60代)以上にはやはりまだまだ難しい問題なのかなぁ。とも思います。
特にぼくの母はずっと地元(青森)に居て、なかなか新しいものを見たり触れたりする機会がないので、ちゃんと理解してもらうにはけっこう時間がかかりそうです。
ただ・・・・・・これはとっても個人的な話だけど、ぼくのことに関して言えば特に「理解」してもらわなくてもいいかなって思ってます。そもそもぼくは「同性愛者」ではないので、その時点で母の心配事はまず減っているし、あとはぼくが自分なりに活き活きと生きていればいいかなって。まぁ、相変わらず男性みたいな恰好をしてときどき自分のことを「オレ」とか言ったりはするけれども(苦笑)。
というか、何においても「元気でいる」「笑っている」ことがいちばんなんじゃないかと思ったりもしますね。例えば自分が同性愛者で、それを親が良い顔しない、ってことがあっても、理屈でどうにかわかってもらうよりは「信頼できるパートナーがいて最高に幸せである」という姿を見てもらう方が早いような気がします。いろんな境遇の人がいるから一概には言えないけども、そういう「理解」の方法もあるんじゃないかなと。
あと、ぼくとしてはLGBTQというものがひとつの「個性」としてもっと浸透してほしいなぁと思いますね。せめて「血液型」くらいの感覚になってほしいかな。偏見もあるけど、「A型差別」とかないでしょ(笑)。
「理解してもらいたい」というよりは「特別扱いしてほしくない」と、当事者の端くれは思うのでありました。