キリンジ エイリアンズの僕は1986年の15才と推察
どこにでもある風景
世代を越えて愛される曲。
エイリアンズのネット上の書き込みをいろいろ読んでみると実に絶賛の嵐。でも何となく私と感覚が違うことがモヤモヤしていた。
書いてる人の年齢が若いから?自分の気持ちに置き換えているから?それも違う。どこにでもありそうだけど、そんなにあるシチュエーションに思えなかったからだ。
そもそもなぜ彼女は夜に泣いているのか?主人公の僕の年齢と時代設定はいつ頃なのか?なんで二人そろって孤独なのか?でもこの場合いじめはあり得ない。なぜなら
たとえクラスメートからいじめを受けていたとしても彼氏がいる時点で「勝ち組」である
もちろん美男美女だけがカップル成立するわけではない。彼氏がいることでやっかまれることはあってもシカトしたら彼氏側からアクションが起こるはずなのでターゲットにはなりにくい。泣いている理由は学校が原因ではないはずだ。
次に気になったのはいつの時代のはなしなのか?携帯電話がある時代なら、自宅内でメールでやり取りできるのに未成年がわざわざ深夜に落ち合って街道沿いを散歩するなど危険としか思えないのだ。
なぜなら公団(現UR都市機構)があってバイパスがそばを通ってるようなエリア(ほぼほぼ坂戸市?)が深夜に灯りがともる場所はヤンキーに絡まれる可能性が高いからだ。
深夜に街灯に沿って歩く僕らは中学生?
彼らを未成年と断言するのはそのような郊外の町は車社会が浸透しているので18歳以上なら車でドライブに出かけるはずだからだ。
高校生ならどうか?埼玉県では1980年代から高校生に「バイクの免許を取らせない、買わせない、乗せない」の3無い運動があったが免許とる奴はとるし、乗る奴は乗るもんである。深夜に出歩くこと自体不良グループに遭遇する危険があるのに丸腰(?)では出歩きたくない。そのような想定が十分に備わってなく深夜に出歩かなければならないシチュエーションがある特殊な環境なのでよほどの事情があったと考えられる。
歌が作られた時期(2000年)から逆算しても1995年以前
1993年ドラマ「ポケベルが鳴らなくて」
まだ外回りのビジネスマンが主流
1995年PHS発売1996年ドコモのポケベルCMで広末涼子旋風
1997年PHSで短文のメッセージを送れるサービス開始。加入者獲得のため駅前にテントを出して契約手続きしを本体を無料で配ってた
2000年11月にJ-phoneがカメラ付ケータイを発売当時はアンテナが伸びる携帯が主流
i-Phoneは2007年発売
そもそも、夜中に女子中学生が外出しても親に心配されない家庭ってわけですよね
団地の壁は薄い。そして外廊下の音はよく響く。(誰かの不機嫌も静まるのがわかるくらい)どんなに静かに扉を閉めても音は聞こえてしまう。寝ている家族もパタンという音に目が覚めてしまう。こんな夜中に娘はどこへ行ったと心配するのが普通(?)である。
ところが心配されないケースも多々ある
母親が深夜に仕事をして不在なケース
風営法施行前は終夜営業のスナックも多々あった。あるいは看護士や工場、トラックドライバーなど。
もうひとつ、母であるより女であることを望むケース。例えば金遣いが荒い夫に愛想をつかして浮気してるケース。そして夫や彼氏のDVで逆らえない離婚後の生活苦から男性に依存せざるをえないケースである。
あの時代、郊外の街で中学生カップルが深夜に出歩いてたら不良に絡まれるのがオチです
決して坂戸が田舎だと言ってるわけではない。私が想定する時代(1986年)は日本中どこでもそうだ。ヤンキーという言葉が全国区になったは2003年「ヤンキー先生母校に帰る」で義家弘介氏が注目された頃なのであえてここでは「不良」と表現する。そんな時代、深夜の公園やコンビニに行けば絶対不良グループに出くわす。カツアゲされるか不良グループに取り込まれるかのどちらかである。良い子は絶対出歩かない。
歌詞の中に「不揃いな遠吠え 仮面のようなスポーツカーが火を吐いた」と歌われている。令和の現代でも族車を見かけることはある。とはいえ絶滅危惧種だ。歌詞は複数台を想像させる表現なのでれらがかっこいいものとみなされて盛んだった80年代と考えるのが妥当である。
では僕はどうやって君と深夜のデートができたのだろうか?ケータイが無い時代、実際に連絡を取り合って深夜に逢瀬を重ねるためには当時は幾重もの障害がある。それがない環境は同じ団地の同じ棟に住んでいるケースと考えられる。住所は集合ポストを見ればわかるし、外廊下に出ていれば姿を確認するのは容易だし北側の部屋なら窓越しに合図を送ることも可能である。
下図はキリンジの堀込兄弟の生まれてからデビューまでの時期の年表である。右側はエイリアンズの歌詞に影響を与えたであろう時代背景を並べてみた。
基本、作者本人の人生経験とあまりかけ離れた時代設定では感情移入しにくいので想定した年齢付近と考えるのが妥当だろう。
1986年と1987年のどちらにするか迷ったが1987年はバブルの足音が聞こえ時代の転換期な気配がある。私の推察は1986年の中学3年生と結論付けた。
深夜に家に居たくない。これは学校ではなく家庭環境に原因があるはず
いつの時代も家庭に問題を抱えるこどもたちはたくさんいる。
そのようなこどもたちはこんな家早く出たい
と考え、不良グループに居場所を求めるケースが考えられる。彼らは大人による「支配」を拒み、早く大人になりたいと願う。「人生早歩き」は現在のヤンキーにも通じる。
しかしこのカップルは地球の片隅で月を見ているほど孤独だ。つまりこの二人はヤンキーのメンタリティーは持っていないのである。
深夜に泣きながら家を出るティーンエイジャーの悩み事は何?
1986年はいじめ問題が連日ニュースで報じられた時代。家庭問題で苦しんでいるのに周囲に相談することができず、理解されず孤立するパターン。
問題の根が深すぎて周囲に言えないパターン。彼女は恐らくここに当たる。
下図はその参考文献をであるが1987年に出版された津崎哲郎氏の著書は大阪で児童相談所で児童虐待を担当したケースを紹介している。今でこそ児童虐待よる悲惨な事件が次々報じられ社会問題として認知されるようになったが、出版されたころは一般的に「せっかん」と呼ばれてしつけの一環と勘違いされていた。この本は子供への性的虐待にも触れている。もしこのような事態が身に降りかかれば子供はどこにも相談できず、ひとりで抱え込むしかできない。
上図はもう一つの参考図書である。別冊宝島のザ・中学教師シリーズは4~5冊出ている。1970年代の人情学園ドラマブームや1980年代の校内暴力や、管理教育と呼ばれた校門圧死事件などを背景に1990年代に生徒と正しい距離間で正しく向き合う「プロ教師の会」のメンバーによって書かれた本である。
#キリンジ #エイリアンズ #1980年代 #50を過ぎて気付くことがある