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捨てられないばあちゃんの思い出。

昭和、特に戦後という時代は、モノの足りない時代だった。

それは、昭和生まれを両親•祖父母に持つ平成生まれのぼくですら実感する。

たとえば、4年前にあっちの世界に行った母方のばあちゃん。

決しておおらかというわけではなく、なかなか融通の効かない、お節介ばあさんであった。

たとえば、なにかモノを買う時は、自分のだけでなく、家族の分も買ってきてしまう。
これが食材なら良いが、金色に輝くとぐろを巻いた龍の貯金箱を成人した娘二人のために買うのだから、なかなかの娘想いである。

ちなみに、トレードマークは曲がった腰である。ぼくが物心ついた頃には、すでに90度近くに曲がっていて、亡くなる直前には90度を超えてほぼ前屈になっていた。

そんなばあちゃんの家(じいちゃんの家でもある)は、とてもきれいであった。

もちろん建てられてから年季が入っているから、襖が日に焼けてるとか、壁がわずかに割れてその隙間から隣の部屋が見えるとか、古いなりの問題はあるけれど、掃除はきれいに行き届いていた。

掃除の苦手マンしかいない我が家(特に母は物が捨てられない人だ)では考えられないくらい、2DKの平屋は、その古さ以外にほこりひとつなかった。

……

というのは、あくまで週に1度ほどしか訪れていなかったぼくの目が届く範囲での話だ。

実際のところ、物の捨てられない母の遺伝子は、しっかりそのばあちゃんから受け継がれている。
(ちなみに妹にも受け継がれ、ぼくも日々その血と闘っている)

きれいに見える押入れの奥には、ばあちゃんが買い貯めた物品がパンパンに詰まっていたし、

すぐ隣の家に住んでいる娘(ぼくからすれば叔母、つまり母の妹にあたる)宅の2階の部屋に、なぜかばあちゃんの買ったものがうずたかく積み上げれていた。

うずたかい山ができあがる理由は明快で、例の、気に入ったものをなんでもかんでも娘の分まで買ってくるクセである。何十年もそんなことをすれば、貰いきれなかだだものも出てくるし、捨てられるわけもない。

聞いた話によると、ばあちゃんはその山から目当てのものを取り出すため、這い登っていたとか。

結局ぼくは、ばあちゃんの生前にその押し入れの中を覗く権利も、2階のエベレストを見る権利もなかった。

今ではもう、叔母さんによって、2DKの平屋もすっかり模様替えされ、エベレストは山体崩壊の前に平地になってしまった。

ぼくは頭の中で、モノの山の中を這うばあちゃんを想像する。

戦前に生まれ、当時としてはハイカラな性格の人だった。

ただでさえ貧しい時代である。
そこに輪をかけて、夫は昭和の、頑固で亭主関白な人だったので、あれこれと自由な生活はできず、大好きな趣味のカラオケもコソコソ目を盗んで楽しまなくてはいけなかった。

それとモノへの執着が何か関係があるのかと言われれば、わからない。

けれど、おばあちゃんはあの口うるさい裏側に、なにか満ち足りないものを抱えていたんじゃないかと、思ってやまないわけである。

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