小説:くさ枕
山道を登りながらこう考えた。
めっちゃうんこしたい。
智に働けばうんこしたい。
情に棹させばうんこしたい。
意地を通せば漏らすなこれ。
道端の花の写真を撮るふりをしてしゃがみ、僕はさりげなく最後尾になった。
よし、クラスメイトをやり過ごした。
残る敵は貴様だ、うんこ。
どうしてうちの学校には登山レクリエーションなんて行事があるのだろう。
しかもどうして泊りがけなんだろう。
体調の管理ができるわけないじゃないか。
主にうんことかの。
ぼやいている場合じゃない。
便意をなんとかしなければ。
便意をおさえるツボとかないのだろうか。
僕は検索しようとスマホをポケットから取り出した。
が、電波がない。
スマホを空中に掲げ電波を探していると、その刺激で便意の波が襲ってきた。
僕は両膝を地面について全力で肛門を締め上げた。
これあれだ、プラトーン。
こんなに汚いプラトーンポーズがあってたまるか。
するのか、僕?
しちゃうのか、あれ?
はじめてのあれを、僕は今ここで?
ならせめて、登山道から離れたところで。
人が通る道からできるだけ離れたところで。
僕が尊厳を失わないために。
すると決めてしまえば、迷いはなかった。
僕はまわりに目もくれず林に走った。
一刻の猶予もない。
しかしズボンを下ろしたところで、最終決定の迷いが出た。
本当にするのか?
今ならまだ引き返せる。
今ならまだ野山で尻を出しただけの人間だ。
今ならまだあっダメだ。
致し方なく僕は致した。
なんたる開放感。
心なしか青い空も笑っている。
小鳥たちのさえずりが聞こえた。
そうか、生き物は本来、この気持ちでうんこするべきなんだよな。
大切なものを失うかと思っていたのに、大切なものを見つけた気がする。
僕はしみじみ考えた。
ケツ丸出しで。
ふと、視線を感じた。
僕は即座に現実に戻った。
人ならまだいい。
獣ならかなりやばい。
血の気が引いた。
こんな姿で死にたくない。
僕がその方向を見る前に、声が聞こえた。
「やっぱするよね、うんこ」
青年がこちらを見ていた。
僕と同じポーズで。
どうして気付かなかったんだろう。
切迫しすぎて周りが見えていなかった。
というか、話しかけるなよ。
僕は目をそらした。
「俺だって迷ったんだよ、話しかけようか」
僕は聞こえていないふりをした。
「でも途中で気付いて会釈するほうがなんかいやじゃん」
話しかけないでほしい。
「なんかそのはじまりは、いやじゃん」
なにも聞こえない。
「奇遇ですねとか、いい天気ですねとか言う空気じゃん」
それはいやだな。
「ケツ丸出しでする挨拶じゃないじゃん」
たしかに。
「うんこフレンズのほうが、まだいいじゃん」
「いやネーミングが最悪!」
しまった、返事をしてしまった。
この気まずい空間から早く脱出しよう。
さっさとケツを拭いて。
……ケツを拭く?
僕は青ざめた。
「登山にティッシュは基本だぜ」
青年のほうを見ると、ティッシュを手にキメ顔をしていた。ケツ丸出しで。
「事前にトイレに行っておくのは基本じゃないんですか」
「う、うるさいな!」
しかし、青年のほうが優位なのは明らかだった。
「ティッシュが欲しいか」
「欲しいです…」
「欲しいときはどうするんだっけ?」
「ください…」
「あれ?そんな言い方でティッシュってもらえるんだっけ?」
「ティッシュください」
「もっと!」
「ティッシュください!」
「もっと!!」
「ティッシュをください!!」
「もっとだ!!!」
「僕にお兄さんのティッシュをください!!!!」
「あぁぁーい!!!!」
青年が投げたティッシュペーパーは風に流されて二人の中間に落ちた。
「なにしてるんですか!」
「だ、大自然の脅威……」
「うるせえですよ!」
「え、どうする?」
「拾ってくださいよ。お兄さんもう使ったんでしょ?」
「まだ……」
「さいあくだ」
このまま動けばどこかしらにうんこが付く。
それだけは避けたい。
僕はこのあとクラスの集団に戻るのだ。
うんことはここだけの関係にしたい。
「なんかこう、四つん這いとかで拾えないですかね」
「動けないね」
「動けない?」
「めちゃくちゃ足しびれてんだよね」
「僕もなんです」
「うんこに尻もちつかないように耐えるので精一杯」
嗚呼、僕たちはこのままここで一生を終えるのだろうか。ケツ丸出しで。
「なにしてんのよあんたたち」
後ろから先生の声が聞こえた。
僕と青年はとっさに尻を隠した。
「いや、今さらなのよ」
「見ないで!」と青年は言った。
「あんたらのケツ見ながらここまで歩いてきたのよ」
「埋めてもらえますか?」
「うんこを?」
「いや、俺を。このまま自然に還りたいです」
「不法投棄になるからいやよ」と先生は言った。
「先生、このお兄さん知ってるんですか?」と僕は言った。
「あれ?君知らないんだっけ?あ、休んでたか」
「知らないです」
「この前来た教育実習の先生よ」
僕は青年に会釈した。奇遇ですね、とは言わなかった。
「おいお前ら、ティッシュが欲しいか」と先生が言った。
「欲しいです!」と、僕と青年は野山に吠えた。