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■7月28日(火)手を伸ばし続けた希望もいざ手中に収めると不安になる説

11時、妻と共に病院のNICUへ。遺伝カウンセラさんーとの話…のはずが、担当医、小児科の先生、遺伝カウンセラーさんと重鎮揃い踏みで、身構える。普段、質問事項を事前に用意してきているが、遺伝カウンセラーとの話のみかと思っていたので、完全に捨て身でやってきてしまった。

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遺伝カウンセラーさんからは、ミトコンドリア病の遺伝のメカニズムについてのかみ砕いた説明、からの、原因特定に向けての両親の遺伝子検査に協力して欲しい旨の話。が、ミトコンドリア病の可能性を告知されてからなんやかんやで2か月。そこそこ自分らで調べているし、このタイミングで砕いた説明をされても…というのが正直なところだった。

両親の遺伝子検査に関しては、7月11日の日記に書いたように、娘が手元にいない現状、自分たちの検査によって過去(娘の障害の原因)や未来(2人目以降の子供)について判明した処で、どこか『娘を伴っていない状態での診断』であることが気持ち悪いのは変わらず、やはり保留とさせてもらった。せめて、もう少し娘を身近に感じてから、色んな事実を受け止めていきたい次第だ。あまりにも、机上の覚悟が多すぎる。

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で、なにより驚いたのは、娘が小児科に転科する7月30日をもって、妻も付き添い入院の実施スタートということだ。まだ何も、準備できていない。

退院日は未定らしいが、「そう長くはないと思う」というざっくりとした回答だった。怒りと言うより、しょうがないとあきらめている部分ではあるが、なかなか予定がみえず、見えた時は急遽、というのが、病院との関係の常のようだ。

ただ、超正直なところ、ずっと帰ってきてほしかった娘ではあるが、いざ帰って来るとなるとどこか不安も感じる。手を伸ばし続けた希望も、いざ手中に収めると不安になる説。

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帰り際、窓越しに娘と3度目の逢瀬。写真で見ていた時より、想像より、ずいぶんと小さくて、まだ赤ちゃんだった。そう、このリアリティがない状態で、遺伝子検査で過去と未来を診断されても、やっぱりリアリティが伴わないのだ。

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自宅に戻り、実家の両親に今後の予定について軽く説明。妻がついていたせいか、割と二人とも温和に聞いてくれた(二人、というより、主に父が)。

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そんな急な付き添い入院になったもので、急きょ、必要な物の買い出しへ。娘の衣類や、オムツなど買う。オムツはパンパースで、割高なのと割安なのの2種購入。二種使ってみて、問題無かったら今後割安なのを採用していこう。

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この日記は8月3日に書いてるのだけど、割とイベント多い1週間だったもので、この時の記憶が既に薄くなってるな・・・。日記、ちゃんと毎日書こう。

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