見出し画像

’22新歓 藤倉見学ツアー(22/05/22)

この日は、地域振興研究会の新歓イベントの最後となる、「檜原村・藤倉地区見学ツアー」が行われた。1週間前に予定されていた企画が雨で延期となったもので、参加者は計5名、やや控えめな人数での開催となった。

武蔵五日市駅を9時丁度に出発する予定であったが、少し時間があったため、秋川駅にて途中下車し、以前から気になっていた南口近くの袋小路を見に行った。路地は2本あって、いずれも線路に突っ込む格好となっている。開店の準備をしている床屋が2軒、加えて飲み屋が数軒見られた。

画像1
ずっと立ってみたかった場所。想像通りの景色だった

8:51五日市着のホリデー快速で五日市へ向かい、9:00発の数馬行きで後輩とともに本宿役場前まで乗車した。前日にフジテレビで檜原村に関する特番が組まれていたこともあり、バスは3台連ねてもなお混雑がひどく、本宿まで誰も座ることができなかった。

朝9時台というのに、払沢の滝前の豆腐屋「ちとせ屋」には行列ができていた

橘橋より徒歩で払沢の滝へ。人も水量もかなり多かった。その後、再びバスに乗って藤倉へ移動し、徒歩で総角沢へ向かってモノレールに乗車。この辺りは勝手知ったる道中である。小林家住宅にて、用意した地図を用いてあれこれ説明したところ、思ったより好評であった。

説明のために、企画前夜の私が夜1時過ぎまで作っていた手作りの地図

13時に小林家を出発し、陣馬尾根に乗って中ノ平遺跡を目指す。この道は2020年11月の藤倉ツアー以来1年半ぶりであったが、相変わらず平坦で美しい山道であった。小林家や田倉家と合わせて周回コースを作り、PRでもすればかなり評判になる気がする。

緩やかなカーブを描く道。林鉄でも走らせられるような趣がある

遺跡を見学した後は都道を戻る形で猿江に入る。屋号「笠」「下」「かぐや」の順に見学し、いわゆる「限界集落」の現状について説明した。「全ての集落を再生することは現実的に不可能に近く、今や車道が通じている集落すら消滅が始まっている。先祖代々の暮らしの記憶が忘れられていく状況で、我々には何ができるのか考えてほしい」といったような話をした気がするが、皆熱心に聞いてくれていて良かった。
猿江周辺の山道に目立った荒廃は見られなかったが、噂に聞いていたモノレールは、駅や橋桁を含めて跡形もなく撤去されていた

猿江の民家。確かこれが「猿江の下」

屋号「かぐや」を過ぎると急に道の状況が良くなった。道に落ちた小石が払われ、綺麗な路面(幅は1m少々あり意外に広い)が露わになっていた。見たこともない美しさだと驚いていたところ、清掃に入っていた女性2名を下り道の途中で追い越し、さらに集落へ入っていくオートバイ1台ともすれ違った。猿江訪問6回目にして、人を見たのはこれが初めてであった。

見たこともないほど綺麗になった猿江への道

その後、旧藤倉小学校に寄って少し話を聞いたが、猿江を含む藤倉の山上の集落に、活用できる物件があれば改修して体験施設を作りたいとの構想があると聞いた。モノレールは撤去されても、未だ人の手が入っている猿江の現状と、地域の将来に向けた希望を感じることができた

見違えるように綺麗になった旧藤倉小学校

また、藤倉バス停でバスを待っている時、我々が猿江にいたのとほぼ同時刻にR774(@kendou774)様がTwitter上にて猿江に関するスレッドを投稿されていたことを知り、大袈裟ながら何か運命のようなものを感じた。私の名前も入れてツイートしてくださり、本当に有り難い限りである(私をメンションして頂いたツイートは400いいねを超えていた)。

偶然の出来事に驚いている間にバスは五日市へ到着し、ツアーはここで解散となった。参加者にとっても私にとっても、それぞれ新しい発見と驚きのある良い一日だったように思う

※一体何の話をしているのか分からなかった方、申し訳ありません。8割は自分の備忘録として書いているので、地名の説明などかなり雑になっています。深夜テンションの書き散らしなので許してください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?