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九十九里石仏調査その1(22/05/05)

わが地域振興研究会「民俗文化研究班」の研究テーマが九十九里平野に決まったため、様子を掴むためにまずは一度実地調査に出向いた。錦糸町より千葉・大網を経由して、午前9時半に山武市の成東駅へ降り立つ。例によって単身での調査で、移動の足は折り畳み自転車である。

帰りに撮った成東駅。再開発で綺麗になっている

まずは山武市の歴史民俗資料館で、周辺の文化について話を伺った。同じ九十九里平野でも山側と海側で気候も産業も異なるため、それぞれ異なる文化を持っていたとのこと。地域に根差した文化の例として、神楽と獅子舞についての説明を受けた。ちなみに、山武市域でも不受不施派信仰が盛んに行われていたとのことである。
 
今回の目的は石仏調査であったため、資料館の見学後、集落の街路を片端から回る調査を開始した。殿台・島・富口の各地区で調査を行い、馬頭観音と六観音を各2基と、庚申塔・如意輪観音・鬼子母神・如来型石仏を各1基記録した。この辺りは石仏をあまり建てない地域のようで、僅か8基の石仏を探すのに2時間を要した。
白幡地区に移動して庚申神社で昼食。地元の方が「石仏を探すなら山の方がよい。浜の方に石仏は少ない」と仰っていたこともあり、午後からは地図に描かれた寺社のみを目指して自転車を走らせる作戦に変更した。

昼食会場の庚申神社

九十九里町に入り、作田地区の東光寺にて十九夜塔と観音型の石仏を1基ずつ発見。住職さんと一緒に採寸や碑文の読み取り等をさせていただいたが、住職さん自身も石仏について詳しくは知らないようだった。気さくな方でお世話になった。

東光寺の十九夜塔

続けて同じく作田地区の月読神社にて、御神体の石仏を記録。摩耗により像容ははっきりしないが、「奉納 二十三夜」の垂れ幕が掛かっており、月待信仰関連の石造物とみて間違いないと思われる。この辺りは、九十九里平野の南部で多数を占める日蓮宗系諸派と、北部で多数を占める真言宗智山派が入り混じっている場所であるが、月待講の19/23の数字も混在しているようである。
通りすがりの古老に話を伺うと、神社はこの集落で大変厚く信仰されているとのこと。郷土に対する誇りが感じられて良い気持ちになった。

月読神社の主尊 地元では「サンヤサマ」と呼ばれているらしい

作田地区・字本郷より海の方向へ走ると、海が近づくにつれ向かい風が強くなってくる。思えば路面に砂が増え、生垣を巡らせた家も増えてきたような気がする。文化については分からないが、内陸側とは明らかに気候の差が見て取れる。路傍に如意輪観音と欠損した魚籃観音を1基ずつ確認後、本須賀海岸で遂に太平洋に到達する。水平線に遮るものがない、久々の外海であった。

海!

少し足を延ばして片貝漁港を見学後、帰路は往路よりやや東寄りのルートをとり、本須賀・五木田・小泉の各地区で神社7箇所と寺院3箇所を訪問。日没に追われるようにして雑に回ったこともあり、帰りに見つけた石仏は4基にとどまった。
 
成東駅前の飲食店で中華を食べたのち、19時に鈍行で成東駅を後にした。本日の成果は、庚申塔×2・如意輪観音×3・月待塔×3・馬頭観音×5・その他×4の計17基であった。サンプル数が少ないため確かなことはいえないが、子安講・月待講関連の石造物が複数確認できたことは収穫であった。

おまけ

白幡地区と本須賀地区の境界辺りを海と平行に走る立派な2車線道路。未成のまま歩道は草ぼうぼうになっているが、一体どうしてこんなことに…?



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