冬の福島旅行 5日目(22/12/30)
例によってやる気のない更新頻度ですが、これが完成しないことには次が書けないので頑張ります。人生に活力がない!(前回の記事はこちら↓)
只見線にて、会津の最奥へ
前夜に引き続き、現在地は会津若松の中心部である。
東京から4日間行動をともにしてきた某君に加え、東京から弾丸旅行でやってきた某君も、昨夜我々の一団に合流した。この日は、2022年に全面復旧した只見線を3人で乗り通し、飯山・長野・松本と回って帰る計画であった、が、昨夜遅くになって「大雪のため会津川口で運転打ち切り」の情報が入ってきたのである。
忙しいスケジュールの中、只見線に乗るためだけに会津に来た某君には非常に気の毒な話である。折角若松まで来たので、ということで、とりあえず会津川口まで行ってみようという話になった。
早朝、ところどころ凍結した若松の町を西に向かって歩き、西若松6:16発の列車に乗車する。夜明け前で車窓は真っ暗であったが、観光客と思われる人々で、既になかなかの混雑である。
列車はコの字を描くように会津盆地の南側を走ったのち、途中の会津坂下から山の中を進んでゆく。連夜の睡眠不足のため、往路は列車内で寝ることにしていたが、目が覚めると夜も明けて、外は一面の銀世界である。途中何度か橋梁で只見川を渡る箇所があるのだが、景色の良いところでは警笛を鳴らして徐行し、そのたびに観光客が窓際で写真を撮る。完全なる観光列車に沿線自治体が出資している、といった感じであろう。
途中の会津宮下で交換のため停車。駅前にも出てみたが、文字通りの銀世界で非常に美しいところであった。
西若松から2時間ほどで、終点の会津川口に到着である。30分少々の停車時間があったので、少し駅前を散策してみることにした。会津川口を中心に広がる福島県金山町は、町とは名ばかりで、人口1700人、高齢化率54%という限界自治体である。全国有数の豪雪地帯だけあって、景色の美しさは折り紙つきだ。駅前に生き残っていた商店で、朝食代わりの菓子パンを購入。
古い日本家屋に重い雪が載っている、何気ない町角の風景も、もはやいつまで持つかわからない。我が目とカメラにじっくりと焼き付けつつ、消雪の水で水浸しになった足を引きずりながら、地図に載っていた「川口寺」を訪問するなどした(会津川口の川口寺とはあまりに直球すぎるネーミングである)。
夕暮れの棚倉町へ
8時41分、折返し列車で川口を発つと、ここから先はひたすらに帰路である。先夜若松の本屋で入手した「会津の野仏」を読みつつ、会津若松・郡山と乗継いだのち、白河駅に降り立って駅蕎麦を啜った。
同行者の提案により、白河からはJRバス関東の白棚線に乗車、水郡線の磐城棚倉を目指す。白棚線は、戦時下に不要不急線として休止になった鉄道路線の軌道敷を、戦後国鉄がバス専用道として整備して、1957年に開通した「BRTの先駆け」のような路線だ。舗装道路すら珍しかった当時は歓迎されたようだが、現在では路面状況が悪く、乗り心地はお世辞にも良いとはいえない。危うく酔いそうになりながら、日没間近の棚倉町に到着した。
1時間少々の乗換時間があり、棚倉市街を散策することにしたが、これが思いがけず良い町であった。具体的なポイントを挙げるならば、もとが城下町であるため屈曲する目抜き通りが残っていること、看板建築をはじめとする雰囲気のよい商家が多いこと、灯りが3つ連なった街灯が夕暮れの空に映えて美しかったこと、などであろうか。
看板建築を改装した真新しい文具店で買い物をしたり、神社で見たことのないタイプの如意輪観音を見つけたり、望遠レンズで街灯の写真を撮ったりと、色々遊んでいるうちに列車の時間となった。学びあり・美食あり・尊さありの福島旅行は、浜通りから会津の奥地まで横断したのち、福島南端の町で出会った思いがけないノスタルジーとともに大団円を迎えたのである。
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