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水平の民主主義

住民投票についての電話取材を受けて、いろいろ話しました。最も熱く話した点は記事にはならないことなので、ここに書いておきます。

それは、住民投票で私が見たものは、上からの民主主義でも下からの民主主義でもなく、いわば水平の民主主義だったということ。組織vs個人などという構図はなかったです。組織も個人も、それぞれの立場で運動し、相互に影響を与えあう水平の関係でした。

既にデータを消去してあるので正確な数はわかりませんが、私の缶バッジを買われた方の中には、政党も労働組合も政党系市民団体もありました。領収書の宛名でわかります。送り先の住所が福祉系の事務所というのも珍しくありませんでした。政治家さんもおられました。

そういう組織とそうでない個人、政治家と一般市民が、全くなんの違いもなく使って下さったのが缶バッジです。そして缶バッジの起源は、共産党市議団がオモチャで手作りしていたバッジにあります。 

更に、私と数人の市民でやることになったきっかけは、夏の臨時議会での無所属会派と共産党の統一会派結成と、その議会での質疑にあります。多勢に無勢が明らかな市議会で、議員さん達が議員にしかできないことを全てやり尽くそうとした姿勢をFBなどで見て感銘を受けた我々が、缶バッジ作るくらい市民側で引き受けようよ、という話になったのです。デザインが共産党さんの他のグッズと共通なのは、データをご提供いただいたからです。

コロナで集まりにくかったこともあり、製造はやり始めてすぐ業者発注に切り替えました。どんどん運動を膨らませていった私に好きにさせてくれたのは共産党さんです。そして共産党市議団の皆さんも缶バッジが1,600個売れるとは思われておらず、こちらのやることに影響されておられたのです。

そして、缶バッジはみおつくし24区市民連絡会というネットワークの活動に入れていただいていましたが、その世話役的な位置にいらしたのは市会の武直樹議員です。その武さんとも影響は相互に与え合う関係でした。

更に、私は住民投票についての座談会を3回開催していますが、3回とも自民党の柳本顕さんに講師役で来ていただいてます。これも仲間とこちらから押しかけていって直談判して引っ張ってきたわけです。どこの誰かようわからん市民をよく信用して下さったと思います。

私が関わったことなど、大阪市の有権者数を考えれば砂漠に水一滴でもないです。でも私にしかわからない事実があり、そこから推測されるものは単なる私見には収まらない気がしています。そもそも組織の運動=動員というのも一面的な決めつけでしょう。

そして私の疑問は、なぜこの水平性が賛成派の運動に育たなかった(ように見える)のかということです。

維新の支持構造は政党が機能し、政党ラベルで選ばれているというのが善教将大氏の学説で、私はそれに従う者ですが、政党で選ばれていることが選挙=間接民主主義では+に働き、住民投票=直接民主主義では-に働くのではないでしょうか。ボランティア市民まで統率の取れた運動は、一方で個人の自由で多彩な運動が発生しにくくなることが推測されます。

今回の住民投票で反対派市民の自由な動きは日に日に目覚ましく開花していきましたが、選挙の時に候補者や政党に気を使って何をしていいかわからず、選対側も普段付き合いのない人に単純作業以外を振りようがなく、全員オロオロしたまま投票日、というのはありがちなパターンですよね。今回反対派がそうならなかったのは、直接民主主義だったという制度設計の影響を無視できないと思います。

少なくともそれを「がんばり」の問題に収斂させるのは知性の敗北です。で、次もがんばり勝負なんでしょうか。そんな根性論とは私は手を繋ぎませんので悪しからず。

缶バッジも、去年ウチでやってた勉強会も、こういうの自分達もやったらどうか、という声が維新支持者にありました。それが育つかどうかを個人の資質だけで判断するのは粗雑かつ素朴にすぎる考察でしょう。

大阪の地方政治の現状については、簡単に慣れ親しんだ思考の枠組みで捉えないで、もっともっと問いをたくさん立てていった方がいいと思います。

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以上は12月4日の晩にメディア取材を受けたのち、私のFBとツイッターに投稿したものです。「上からの民主主義」「下からの民主主義」は以下の二本の記事に出てくる見方です。