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【単なる抗議文なのに、「脅迫状」と呼んで煽る。そして応援チケット…】

時々投稿する写真の通り、私はよくブッフェレストランに行きます。

ブッフェって、ちょっと高いけど、美味しそうなお料理が沢山ずらりと並んでいて、見て楽しい食べて美味しい、だよね。

食べていくうちに、だんだん用意するレストラン側の気持ちや方法などを考えるようになってきた。

例えば、

   このドリンクバーの機械、見た目はコンパクトなのにいろいろどんどん出てくる。仕組みはどうなってるんだろう?

 このサラダ、厨房の冷蔵庫にどのぐらいの野菜が入っていて、用意するのには何分かかるんだろう?

 このスープ、黄金色のスープで、癒されるな。この深みのあるお味、だしは何だろう?

 この煮物、おいしくてどんどん無くなっちゃう。一日に何回煮物が作られているんだろう?

 このローストビーフ、どのように作られていて、付け合せのソースはどのように作られていて、コストはどのくらいなんだろう?

 このカレー 、いつも美味しい。美味しい秘密は何だろう?

 この美味しそうなデザートの数々、いつ作られたのかな?一日で何個のホールケーキが出ているのかな? スタッフが厨房で次から次へと作っているのかしら?

などと、いつも美味しくいただきながら、忙しそうなスタッフを拝見していると、頭の中で考えてしまう。

一通り食べて、お腹いっぱいになって、払うのは一人数千円。

一人あたり数千円の食べ物を提供するために、一人から数千円をいただくために、たくさんたくさんの人々が働いていて、たくさんたくさんの苦労がある。

一方、世の中には呼びかけるだけで大金が集められる人がいる。(能登半島の地震への災害寄付金のようなものとは全く別)

すなわち、

「△△と戦う!」とか、「◇◇を守る!」とかの「大義」を作って、応援チケットを販売して、一人数万円とかの応援を得る。

これはこの人がこういう仕組みをつくりあげるまでの努力(知名度アップ、影響力アップなど)の成果なのかもしれないが、

何か違和感がある。。。🤔

誰を応援?

何を応援?

大金を出して応援した側は、対価として何が得られるの?

そして、最も重要なことなんだけど、

そうやって集めた大金は何に使われるのか?

応援チケットで集めたお金の使途について支持者の方にお聞きしたところ、ある支持者の方はこうおっしゃった。

・(お金の実際の使途については)報告は動画でほぼ毎日聞いています。

 動画を視聴していて、国の内外を走り回る〇〇さんのそれだけの活動には、〇〇さんに集まる賛助金で足りるのだろうかといつも心配しています。

別の支持者の方はこうおっしゃった。

・(ある法案の場合に)「政治家は女性達の声を届けてくれない。でも〇〇さんなら届けてくれるかもしれない」と期待し、カンパする。〇〇さんばかりか、その他の協力者も元々手弁当でやってて大幅な出費超過です。支援者自らが納得し寄付するカンパって形、他に幾らでもあるのではないかなあ。

支持者の方々にはそれぞれの思いがあって、納得されて応援金を支払われているようである。

共通しておられるのは、集めた応援を使って、世の中のためになる何かを達成してほしい、という純粋なお気持ちのように感じる。

そのほか想像するに、

「日本国のために頑張っている」

「なかなか成果の見えない仕事だよ」

「とにかく応援したい」

「いやー、あの美貌を見るだけで満足だ。俺はお金を出すよ」

などなど、支持者の方々には、それぞれ、応援のお金を支払う理由がおありになるのだと思います。

やはり共通しておられるのは、世の中のためになる何かを達成してほしい、というお気持ちなのではないかと私は感じております。

他方、自分が自分のためにやろうと思っていることなら、普通は自分で費用を負担するよね。

例えば、自分で相手にあの手この手で仕掛けていって、相手から抗議文が送られてきたら、脅迫された!と煽って、裁判を起こす。

これって、世の中のためになることではなくて、ご本人の趣味とかの世界でしょう。

なのでこの場合は自分で費用を負担するのが普通ではと思います。

富士子の例で言うなら、少し前にグリーンオイスターの件を調査するために台湾に電話をかけまくった。

これは自費です。だって情報確認のために自分が電話したかったのだから。

個人的には、とある世界的に有名な企業のある商品に問題が発生し影響が拡大したという事件に遭遇した。他の消費者に被害が拡がって大変だという責任感もあり、実はこの2、3年間企業と直接やり取りをしてきた。いまは訴訟を起こそうとしています。すでに弁護士と契約しお金も支払った、時期を見て行動しようとしている。

両方とも、公益性にも関係する話なんだけど、表立って自分への応援を呼びかけたりしなかったし、応援チケットも売らない。

だって、基本的には自分のしたいことなんだから。

顧客から数千円を得るために、たくさん働かなきゃいけない。 

支持者から数万円を得るために、ちょいと仕掛けをしたり一声かけたりする手間があるときもあるけど、日本が困った時や、誰かを叩く時には、それにかこつけて応援を頼めばよい。

数千円を払った側は、おいしいブッフェを堪能した。数万円を払った側は、世の中のために役立つお金の使い道をした、と喜んだ。

数千円を貰った側は、おいしい食事と素敵なサービスを提供した。
数万円を貰った側は、具体的に何をした?

…突然あの英語が頭をよぎった。

There is no free lunch.

直訳すると、無料のランチなんて存在しない。

人から1円をもらったなら、1円なりのお返しをするのが普通でしょう。
人から1円をもらったのに、何も報告もしない、何も返さないというのは、虫が良すぎる。

大金を手に入れる側は、大金に相当する成果を提供する側に見せなきゃいけない。
大金を提供する側は大金を差し出したことの成果の報告を要求して当然である。

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