幼なじみとの再会
幼なじみと何十年ぶりかに再会した。彼女とは20歳頃に疎遠になり、ここ数年でまた連絡を取り合うようになった。ラインや電話でお互いの近況を知り、写真を見てあまり変わらないと思っていた。実際に会った彼女は、外で会ったら分からないくらい変わっていた。
「すっかり大人の女性になって!」私がそう声をかけると、
「私も今同じこと言おうと思ってた!オッパイ大きくなったよね!」と彼女。
彼女の発言に一瞬戸惑ったが、成長しない胸に悩んでいた、10代の頃の私を覚えていたのだと気づいた。
「水かお茶でいい?ジュース飲まなかったよね?」と聞かれ、
「え?そうだっけ?飲むけど・・・」と答えると、
「歯の矯正してたから、ジュースもガムも飴もダメだって言ってたよ」と彼女。
子供の頃の自分を覚えていてくれたことが、たまらなく嬉しかった。彼女と過ごした時間を宝物だったと思っているのは、忘れられずにいるのは、ずっと自分だけだと思っていた。
私達が出会ったのは小学校5年生。私の家から歩いて3分もかからない所に、新しい家が建った。そこに引っ越してきたのが彼女だった。新築の家は木の匂いがして、とても広く、私はほぼ毎日彼女の家に遊びに行った。数えられないくらいたくさんの思い出がある。
その実家に今回おじゃまさせてもらえて、感動もひとしおだった。当時とても大きく感じた家は、少し縮んで見えた。手すりが取り付けられ、水回りがリフォームされている以外はそのままだった。
走り回った和室、彼女がよくお菓子を作っていたキッチン、スイカを食べたリビング、犬小屋のあった庭。何もかもがたまらなく懐かしかった。
そんな中、彼女の両親が外出先から帰ってきた。年は重ねているけれど、声も雰囲気も目も、あの当時のおじちゃん、おばちゃんだった。
「おじちゃん。おばちゃん。その節は本当にお世話になりました。いつ家出してきても泊めてくれて、美味しいご飯を食べさせてくれて。本当に感謝しています。この家がなかったら今の私はいないです。」
深々と頭を下げてお礼を言ったら、涙が止まらなくなってしまった。
高校生の時、家にも学校にも居場所がなく、よく彼女の家に家出していた。突然来ても嫌な顔一つせず、「何食べたい?」と私の好き嫌いを聞いて、美味しいご飯を振る舞ってくれたおじちゃん。美味しい美味しいと食べる私を「ええ子じゃのう」と何度も言ってくれたこと。
「また家出してきたの?」と笑顔で言い、私の母に電話をし、ふかふかの布団を用意してくれたおばちゃん。小学校の運動会で、私の母に代わりお弁当を作ってくれたこともあった。後にも先にも、あんなに豪華で美味しいお弁当は食べたことがない。自分の親から得られなかった愛情や温かさを、彼女の親からもらっていた。
私が乗るバスの時間まで2時間、これまでの大変な経験を彼女は話してくれた。娘のために資格を取って転職したこと。乳がんを患い片胸を全摘したこと。今は仕事を休んでいること。
「オッパイなくなったけれど全然悲しくないんよ。役目をもう終えたってことかと思って。」
そう言う彼女の顔は明るく、目には力があった。10代、20代の頃の彼女よりも何倍も力強く美しく見えた。
彼女が焼いてくれたお好み焼きはとても美味しかった。あまり量が食べられない私のために、小さめに焼いてくれたり、食べやすいように豚肉を小さく切ってくれたりと、細やかな心遣いがとても嬉しかった。本当にすてきな大人の女性になったなとしみじみ思った。
連絡をとらなくなった間、もう二度と会うこともないのかと悲しくなったこともあった。こうしてまた再会できたことが不思議で、ご縁ってどこでまた繋がるか分からないものだなと改めて感じた。
そして、遠く離れていても、それぞれの場所で戦っている。自分は一人じゃない。そう思わせてくれた幼なじみとの再会だった。