No.18「全力で楽しもう!」
先日、天皇杯が終わり、2022年の大会が全て終了しました。
今大会は、パリオリンピックの最初の国内予選ということもあり、オリンピック階級ではたくさんの激戦がありました。
僕は非オリンピック階級の63kg級にエントリーしました。
理由としては、今年何度か60kg級にエントリーし、減量をしていく中で、脳脊髄液減少症の影響か、減量を始めると頭痛が止まらなかったためです。
社会人として競技を続けると決めたきっかけであるオリンピックの予選が始まる大会で、非オリンピック階級に出るという選択をすることは本当に悩みました。
エントリーを決めた後も、エントリー表が出た後も、試合の1日前でもいつでも本当に60じゃなくてよかったのか?逃げたんじゃないのか?と自問を繰り返す日々でした。
その自問に対しての明確な答えは出すことも出来ず、次第に優勝することしかこの階級に出ることに価値はないというふうに考え、負けたらどうしよう、とやっぱり60の方が良かったんじゃないかという考えがぐるぐると頭の中を巡っていました。
そんなネガティブな気持ちを払拭するためには練習するしかないと意気込んでいたらマットに復帰した1日目で怪我をしてウエイト場に逆戻りしたり、やっと少しずつ練習できてると思ったら、結膜炎になるなど、よりマイナスな要素が自分に降りかかってきました。
だから試合前のnoteには怪我をせず試合を終えたいと書いていました。
結果的には一試合ずつ別の場所を怪我するというある意味快挙を成し遂げましたが…。
試合前のマイナスな空気を完全に払拭できないまま試合当日を迎えました。
一回戦はなぜか苦手な専修大学。
試合前にはまともな練習はしていなかったので、もうとにかく攻めるしかないと思い、覚悟を決めてマットに向かいました。
試合は攻撃は良かったけれど防御はダメダメの試合。
試合には勝ったけど勝負には負けたってやつでした。
そんな試合中、やばいなと思っていた時にツヨシの声が聞こえました。
「諒太郎、深呼吸」
確かこんな感じだったと思います。
この声を聞いてまず思ったのが、ツヨシ来てたの?でした。(明治杯もミントのトレーナーとして来ていたのでよく考えれば分かりましたが。)
そして深呼吸をしたらすごく落ち着くことができました。
そこからはどれだけ競った試合になっても落ち着いて対処することができたし、何より緊張で忘れていた家族のためにという思いも思い出すことができました。
大会前はずっと考えていた家族のためにという思いも試合の緊張で忘れてしまっていました。
ツヨシの声かけがなければ、僕はまた国体と同じ失態を繰り返すところでした。
ツヨシだけではありません。
わざわざ会場に応援に来てくれたレンタロウ。
試合の日が同じで、毎試合始まる前に頑張ろうぜと声を掛け合ったタイセイ。
僕の試合日には来れなかったけれど、国体ぶりに会えたルイ。
川井先生と両親も遠い石川県から応援に来てくれました。
最終的には2試合を勝ち、準決でロク軟骨を痛めて負けました。
優勝には程遠い結果だったわけです。
試合後、本当に悔しくて怪我もして情けなくて、文字通り涙が止まりませんでした。
そんな僕にも上に書いた人たちの他に応援してくれる人はいて、Youtubeで見てくれた人や、会場で応援してくれた人、メッセージをくれた人がたくさんいました。
自分の頑張りは自分だけのものじゃないということを再認識した大会でもありました。
そして、改めて同期のありがたさ、あたたかさ、頼もしさを感じた大会でした。
本当にいろんな人の支えのおかげでマットに立てているわけで、自分はがんばることで少しでも支えてくれている人たちに恩返しをしていかなければいけないと改めて考えました。
次はオリンピック階級に出ます。
今のままでは夢のままで終わってしまうオリンピック。
最善で最高の努力と準備をします。
そして最後に笑っていられるように、2023年も1日1日を大切に丁寧に生きていきたいものであります。