【映画JOKER:ネタバレなし】わたしもJOKERになるかもしれない。
誰にでもJOKERになる可能性を秘めている。
こう言うと
大概の人は、
「いやいや…JOKERは特別な人間だ」
「人を殺すなんて化け物にしか出来ない」。
そう言うだろう。
しかし、果たして絶対にJOKERにならない。
そんなこと、本当に言い切れるのだろうか?
少なくとも、わたしは映画を観終わった後、
「わたしも、もしかしたらJOKERになるかもしれないな…」
そう自然に思ってしまった。
一応、誤解を生まないために言っておくが、決してこの映画を見て狂気的な感情になった訳ではない。
自然に自分とJOKERを重ね、同情していた。
それがまた恐ろしいのである。
積み重ねとタイミングで人は簡単に変わってしまう。
昨日まで耐えられていたことも、ちょっとしたボタンの掛け違いや誰かの言葉や態度で、嘘のように変わってしまう。
日々、流れてくる猟奇的な殺人のニュースを思い出せば一目瞭然だろう。
近所の人のインタビューでよく聞かれる
「とってもいい子だった。そんな事をする子には見えなかった」
まさにそのとおりだろう。
人間の善悪など紙一重なのだから。
少しの力加減や
タイミング
ちょっとした我慢の積み重ね
誰かの何気ない言葉
人間なんて、きっかけさえあれば簡単にスイッチが押されるようになっているのだ。
皆、それを押さないように頑張って生きている。
単純にそれだけの事。
恐ろしいことに、JOKERだって最初からJOKERだった訳ではない。
正直、サイコパスと呼ばれる人種であれば「自分は絶対にそうならない」と言い切れたのかもしれないが、JOKERだって我々と同じように幾つもの人生の試練を乗り越えてきた人間だった。
だからこそ、誰にでもJOKERなる可能性はあるのではないか?
そう思わざるを得ないのである。
だれかに必要とされること。
愛して
愛されて
認めて
認められること。
人間が普通に生きていくために
必要不可欠な要素。
映画『JOKER』は、そんな人間の奥深くにある感情を揺り動かす、映画なのだ。
もし、彼の話しを真剣に聞いてくれる人が居たら?
彼を励まし続けてくれる人が居たら?
彼を愛し、キスをしてくれる人が居たら?
きっとJOKERなど誕生せずに、アーサーのままで居続けられただろう。
きっと、なりたくてなった訳でも無く、ならざるを得なかっただけ。
どうか、映画を見終わったあとに自分自信に聞いて見て欲しい。
アーサーと同じ状況に置かれても、絶対にJOKERにならない?と。
おそらく
答えはNOだろう。