毎日が文化祭前日のように〜短命は不幸か〜
道端でセミの亡骸を見ません?
八月も折り返しを過ぎたあたりからよく目にするようになりました。
きっとこれは、僕はしたばかりを向いて歩いているからではないと思います。笑
セミは地上で生きられるのは七日だけと言われています。
人に比べれば短命。
今日はこのことについて自分なりに考察をしたいと思います。
短命は不幸か。
これについての僕の答えは、NOです。
時間の長さがその人の幸せを決めるのではなく、その人の時間の密度がその人の幸せを決めるんだと思っています。
現在夏の甲子園が開催されています。
野球経験ゼロのの僕たまに見ています。
高校生活はみんなほどんど留年しなければ3年間です。
高校野球に費やした3年間とサラリーマンの25年間
卒業するとき、転職退職するとき、どっちが感動するだろうか。
ほどんと高校野球の3年間の方だと思う。
泣けるほど感動できるのは、僕にとっては幸せです。
高校野球のように何かに一生懸命やることが幸せなんで
あって長生きすることが幸せなんかじゃない。
もっと極端な例だってあげられます。
高校の文化祭の準備なんて短ければ先日などの数日。
でも、その数日に授業では出ないような集中力や団結力、たまに喧嘩してぶつかったりして、それでもみんなで良いものを作りたいと言う一心で前に進んで行く。
数日しか準備していないのに、打ち上げ泣いちゃう人なんかもいたりしてさ。
僕の祖母は、周りの友人たちが痴呆になり旅立っていく姿を見て
あーゆー風(痴呆)にはなりたくない、と言っています。
また寝たきりで生きながらえたくないとも言っています。
長生きそれ自体は重要でなはい、と言うことを物語っています。
どう生きるか、何だと思います。
やりたいことがない人には50年の人生も長いのではないでしょうか。
まだに間延び人生。
演劇でもテレビでもダラダラやっているのでは見ていても楽しくないし、
人を楽しませようと演じている演者もきっと楽しくないはず。
そんな間延び人生の人は、何かのきっかけで余命宣告をされて
自分の人生の区切りをつけて輝き出す人がいる。
セミがどう思っているか分からないけど、
七日感しか生きられないのだから、くよくよ考えても意味のないことを考えないで
自分の鳴きたいように精一杯鳴こう。一生懸命泣くことが自分の世に対する存在の証明だ。
なんて思っているかは定かでない。
密に集中して生きて生きたいとセミの抜け殻を見て再認識しました。
かっこよくなんて生きたくない。
スマートになんか生きたくない。
泥臭くても汗まみれでも熱く生きたい。
お・わ・り
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