「雲の上の存在」について
こんにちは。ふじきむです。
今日はタイトルにあるように「すっげぇ奴」について思うところを書いていきます。
まずは結論から、
「雲の上の存在」も自分と同じ普通の人
何をそう当たり前なことを、と言われるかと思いますが、意外とこの意識がないときって多いよなと思ったので以下にまとめていきます。
「雲の上の存在」
わたし達が「雲の上の存在」とよく言うのはプロスポーツ選手や、芸能人、有名企業の社長、大富豪、石油王...etc.あたりでしょうか。
こうした方はテレビの中でしか見たことがない、自分とはかけ離れた生活をしているため遠い存在と感じていると思います(私も正直そう思います)。
ただ、もう少し対象を一般人との境界線近くに持って来れば、お金持ち、高学歴、といった方も当てはまると思います。
私の例でいうと、まぁ、すごいんじゃない?くらいの学歴ではあるのでたまに「いやぁすごいねぇ!」と言われ何ともくすぐったい気持ちになります(浪人したこともあり自分ではそんなにすごいと思っていない)。
学歴などは幼い頃の環境もあり、初めから考えられなかった、ないし自分にはできなかったと考えることもあり、ちょっとした雲の上の存在にみえるといったところかもしれません。
(学歴自体は普段の生活でほぼ関係ないのでなんともという感じ)
その学歴などがあるだけで、知識・経験・年齢関係なく素晴らしいとみなされるのが(ハロー効果でもある)雲の上の存在の与える影響だと考えております。
「雲の上の存在」ができる理由
この「雲の上の存在」が別世界の人間に見える現象は、おそらく知識がないことによるバイアス・類型化が理由なのではないかと思います。
実際、高学歴の大学やプロのスポーツ球団などにいけば、そこまですごいことをしていることもなく、周りが驚く程の天才に溢れている訳ではないことが分かります(例外はあります)。
そういうことを経験するか、誰かから聞く機会があれば実際はあまり変わらないんだなということがわかります。
ただ、類は友を呼ぶではないですが、自分の周りは大体似たような存在のケースが多く、知る機会もない場合もあります。
そうした時に彼我の世界が生まれてしまうのではないでしょうか。
実際その存在は「雲の上の存在」なのか
ここが私の主張したい部分です。
たとえどんな人であれ、石油王であれ、私は「雲の上の存在」なんていないと思っています。
その理由を3つ、これからお伝えしていきたいです。
※ここからは便宜上、勝手にプロ野球選手で例えさせていただきます。
①天才も常に完璧ではない(失敗もよくしている)
プロ野球にも天才やバケモノと言われるような選手は過去現在何人もいらっしゃいます。
しかしプロ野球で伝説的な記録を残した人でも打率は4割弱であり(四死球は含みますが)、6割、すなわち半分以上は打てていないのです。
こんな失敗が多い中で、なぜ伝説的な存在がうまれるのか。
印象的なヒットを打った、新人なのによくホームランを打つなど、本人からしたら結果のひとつが周りにとって驚きの結果に見えているのでは、と私は考えています。
②長年の積み重ねが差を生み出している
ほかの理由としては、「努力の積重ねで何もしていない人よりは段違いな結果が出せるようになっている」ということがあります。
大谷翔平選手やイチロー選手ですら、膨大な練習をしないとあの成績は残せないでしょう。逆に、その積み重ねの結果があの輝かしい成績といってもいいと思います。
こうしたちょっとずつの差が年数を重ねると大きな差になり、到底追いつかないレベルに達するのかもしれません。
塵も積もれば山となるとありますが、継続は大事ですね。
③凡人になる可能性は大いにある
「雲の上の存在」になりえない理由の中には、「凡人になる可能性」というのもあると思います。
大きく飛躍したシーズンやどんどん成長し結果を残していても不意の怪我や不振に悩まされることはあります。
傍からすると理由も分からないことが本人を苦しめている婆いだってあるのです。
そうした結果を常に残せない不完全さが人間らしさであり、これが「雲の上の存在」、別世界の人間なんていないことではないかなと思う理由なのです。
まとめ
要するに何が言いたいかというと
ハナからなんでもできる天才なんていない
ということです。
誰もがそうですが失敗したり訓練したり学んだりしないとできないものだと思います。
だから画面の前でキラキラしている人だって自分とそんな変わらないんだって、ちょっと見方を変えてみてはいかがでしょうか。
少しだけ、世界が変わる気がします。
本日はここまで。ありがとうございました。
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