「やらない」を選択する
いつからか学級委員が定番のポジションになった。
部活は部長だったし、
委員会に入れば委員長。
バイトを始めるとすぐリーダーになって、
卒業するころは現場統括だった。
私って優秀でしょ!
って話をしたいのではなく笑
ただ
「はいはいはいはい!私やります!やらせて!」
と手を挙げ続けただけ。
悪く言えば出しゃばり。
良く言えば、うーん…何?笑
本当は自分の能力に自信がないだけ
はたから見るとすげー行動力のあるやつ!
と写りがちですが、
実は自信のなさの裏返しだったりするのです。
まわりを見渡せば本当にすごい人達ばかりで、
鮮やかな言葉えらびで
サラっと知的な文章を書いたり、
気がつかないほどの細やかな気遣いができたり、
ユーモアとセンスで人を惹きつけられたり。
どちらかと言うと私は不器用で、
まわりがサラリとこなしていることも
ジタバタと騒ぎながら全力で取り組むタイプ。
そんな自分がすごくコンプレックスだったから、
「なんでもサラリとこなせるヤツ」に
心底憧れていました。
だってなんかカッコいいし笑
私がカッコつけるためには、
もう「やる」しかなかった。
みんなが嫌がることをやると有り難がられるし、
もちろん面倒ごとを押し付けられることもあったけど、
でもほとんどの場合「すごいね!」と
言ってもらえるので嬉しかった。
私にとって行動は"自信の裏付け"でした。
全部やることの限界
その結果産まれたのが、
「なんでもやりますマシーン」笑
え、みんなやらないの?
じゃあ私やるよ!やりますやります!
社会人になってもそう言い続けて、
なにもかもをぜーんぶ引き受けて、
あるときプツンと糸が切れた。
あれ?私なにがしたかったんだっけ?
キャリアを積み上げてきた代償に
人間らしい暮らしを捨てた私は
知らないまに限界の淵を歩いていました。
身体と心を病むギリギリのところまできて、
やっと「やることをやめる」決断をしました。
頑張らなくてもいい
「やらない選択」は、
ずっとやることを選んできた人からすれば
ものすごく難しくて怖いことです。
やらなくなったら、
また自信のない自分に戻ってしまうから。
頑張ってない自分なんて自分じゃない。
頑張らないと誰にも認めてもらえない。
本気でそう思ってたし、
きっとそう思ってる人って少なくないんじゃないかな?
今もまだ「やらなければ」という焦燥感に
苛まれることもありますが、
自分の限界地点を知ったので
コントロールすることを覚えました。
大きな理由は、親になったから。
自分事で限界を迎えている場合じゃない笑
そして、ありのままの自分を認めてくれる
家族に出会えたから。
頑張らなくてもいいよ、そのままでいいんだよ
って認めてもらえたから、
自分も自分のことを認められるようになりました。
いま新しいことに挑戦していて、
「でしゃばりな自分」がひょっこり
顔を出すこともあります。
まわりからすると相変わらず
すげー行動力のあるやつ!
と写ってるのかもしれないけれど、
私からすればまだまだ全然。
でも、ちゃんと「やらないこと」を
選択できているから大丈夫!
自分のことを大切に、
守るべき家族のことを大切に、
今日も私はほんの少し「やらない」を選択します。