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就職氷河期世代活躍支援を成功させるために【前編】~これまでの20年間を振り返る~

▶就職氷河期世代の活躍支援に関わってきた20年間


私のライフワークは、就職氷河期世代の活躍支援です。
「就職氷河期世代支援を成功させるために」という本題に入る前に、私がこれまで歩んできたキャリアについて簡単にご説明しておきたいと思います。

2000年に就職活動をして、100社くらいエントリーしたでしょうか。いやもっとしたように思います。面接までいけたのは20社くらい?二次選考に進めたのは半分くらいで、内定は4社から頂きました。人材派遣ビジネスの会社2社と、ベンチャービジネス支援の会社、それと大手流通会社。ちなみに、入社したヒューマングループ以外の3社は既に倒産したり事業再生したりしています。

4社も内定をもらったので、それほど苦戦したとは思われませんが、自分の中では大苦戦でした。しかし大学名も一般的によく知られていたこともあり、足切り(大学フィルター)には遭わなかっただろうし、知り合いの女子大生から厳しい状況を見聞きしていたので、客観的にみると、まだマシな環境だったように思います。(当時はまだまだ男性の方が就職に有利でした)

ともあれ、初職ではヒューマングループという、ヒューマンアカデミーやヒューマンタッチ(現・ヒューマンリソシア)などの教育・人材ビジネスを展開する会社に入社し、希望通りに人材派遣部門に配属されました。人材派遣会社に就職したのは、いろいろ理由があるのですが、自分自身がアルバイトを通じて成長することができたと感じたからで、多くの方に仕事を通じて成長できる機会を提供していけたらという想い。それと、20代のうちに自分で会社を起業してビジネスをしたいという想いから、世の中の様々なビジネスに触れられる業界を選択したかったからです。(あとは単純に創業資金を貯めるために給料が良かった。)

ここに私の20年間を書けばキリがありませんので、ざっと飛ばしながら書き進めますが、その後2年間、このヒューマングループに在籍した後、2003年9月に京都で起業し、当時の若者であった就職氷河期世代の就労支援をメインに事業展開をしました。2011年には地元市議会議員に、2019年からはロビイスト、2020年からは滋賀県の就職氷河期世代支援担当などを務め、いずれの立場でも就職氷河期世代支援に関わってきました。

原点は、初職の2年間で目の当たりにした「就職氷河期世代の惨状」です。
自分はまだ就職できたのでラッキーでしたが、多くの人たちが、就職できずに非正規労働(派遣とか)や、無職や学生アルバイトの継続でした。楽しく、それなりの処遇があっての非正規なら問題ないのですが、どなたも不本意ですよね。なりたくてその立場で働いているわけではありませんでした。私の学生時代の友人も半分くらいは就職できずに、非正規労働をしていました。難関の国家一種試験に合格したのに、省庁面接でことごとく落ちて、非正規社員になった人もいます。私が2年間の人材派遣会社勤務中に出会った同世代のの派遣登録者や労働者の多くは、低賃金で不安定な立場で、それほど文句も言わず(文句を言えば契約を切られる恐れがあった)勤勉に働いてられました。

しかし、何度か突然仕事に来なくなるスタッフさんもいました。人材派遣会社としては、急にスタッフが来なくなると、派遣先会社からの信用もなくなるし、現場の仕事の穴をあけてしまいます。また、営業マンとしては売上もなくなり、他社コンペがかかって他社に取られてしまったら、会社からの評価も下がってしまいます。時には、突然仕事に来なくなったスタッフの自宅にまで訪問して、説得しようとしたり、見つからない場合は捜索活動に近いことも行いました。訪問したスタッフの家は、本当にぼろぼろのアパートであったりした時に、そのスタッフの窮状を知り、なんとも言えない気持ちになることも幾度とありました。「もっと一人ひとりが、イキイキと働ける社会にしなければ」という想いが日増しに強くなっていきました。

就職氷河期世代は、たまたま就活時に不況期が重なり、就職困難な世代でもあるのですが、当時は今のように第二新卒労働市場はなかったですし、若者の就労支援も国・自治体・民間ともそれほど力を入れて取り組まれていませんでした。(2003年に全国にジョブカフェ(若年者就業支援センター)ができて、ようやく若年者向けの就業支援事業が日本において初めて動き始めました) 就職氷河期世代がこのまま、キャリアを積めないまま中年期・壮年期・老齢期を迎えれば、社会にとっても国にとっても非常に大きな問題になる。そう考えて、私は起業や政治の道を選び、この問題の解決に向けて、微力なチャレンジを続けてきました。

▶就職氷河期世代集中支援プランがはじまるまで。

令和2年度(2020年度)から、政府は就職氷河期世代支援に本格的に乗り出しました。もちろんこれまでも国は就職氷河期世代支援に取り組んでこなかったわけではありません。

2003年に若年者就業支援施策である、「若者自立・挑戦プラン」の中核的事業として、全国に「ジョブカフェ(若年者就業支援センター)」が誕生しました。この時は長引く不景気(当時は失われた10年と呼ばれていた)で生み出されたフリーターの就業支援を目的としたものです。統計機関によって異なりますが若年フリーター(35歳未満で正社員でないもの)の数は200万人~400万人超いるとされ、小泉純一郎内閣のときに一連の施策が展開されました。

2000年代後半は景気回復期にあたり、就職環境も改善したことから、若年者就業支援の機運はみられなかったのですが、リーマンショック後に急激な雇用環境の悪化から、急激な雇用環境の悪化がありました。自民党から民主党に政権が変わる時期で、両政権で実施された緊急雇用対策事業で、就職氷河期世代を含めて多くの無業者・失業者に対して支援が実施されました。このとき、就職氷河期世代の年齢層は30歳前後から40歳前後でした。また2011年の東日本大震災の影響もあり、2010年代半ばまで雇用環境は改善されず、そのうちに不本意非正規社員は正規転換できないまま、年齢だけを重ねていました。

2015年頃から景気回復期を迎え、不本意非正規雇用率も低下しました。
(参考資料:厚生労働省HP

そして2018年。議論の中心となったのが、「全世代型社会保障制度」でした。この前提となる論点は、「一億総活躍」であり、定年時期&年金支給時期の後ろ倒しであり、女性活躍でありました。みんなが輝き、仕事をして、社会で活躍し、みんなで社会保障を維持していきましょう、という考えによるものです。ちょうど「50・80問題」も課題として顕在化してきました。50代の壮年期の人が80代の親世代を面倒見るというものですが、50代の壮年期の人が、そもそも経済基盤が弱いという状況が露わになってきて、社会保障問題を考えるときに、40代・50代の人たちの雇用や生活基盤をしっかり整備しなければ、この問題に対処できないと考えられました。40代・50代は就職氷河期世代と正に重なるわけで、就職氷河期世代の集中支援の必要性へと議論が発展していきました。

2018年に発表された経済財政諮問会議の「骨太方針」で、2019年度からの就職氷河期世代集中支援が閣議決定され、8月15日に日経新聞で大まかな施策の流れが取り上げられました。中央省庁の翌年度概算要求締め切りは8月末ですので、このあたりに大まかな方向性が固まったと言えます。ちょうどそのころ、私は東京で働いていました。ロビイングの仕事をしておりましたので、国会議員事務所や霞が関に顔を出させて頂く中で、関係者ともコミュニケーションをさせて頂き、私なりの意見を、関係者にお伝えもさせて頂きました。とりわけ地域によって対策が異なるため、地方自治体が独自の施策に使える交付金制度(地方創生交付金のようなもの)が必要だと、各所で提案させて頂いたのでした。

提案させて頂いた事柄は結果的にその後、「就職氷河期世代支援加速化交付金」として政策実現し、自治体は独自の施策に対して有利な交付金制度の下で、政策形成することができるようになりました。

2019年。いよいよ就職氷河期世代支援の集中支援が始まろうとしていました。しかしここで、新型コロナウイルス感染症の感染拡大となりました。
4月7日でしたでしょうか、日本で初の緊急事態宣言が発出され、出だしから就職氷河期世代支援は躓くことになりました。もうそれどころではなく、フードサービスや観光業などを中心に失職する人が相次ぎ、雇用調整助成金の制度緩和によって、多くの企業で企業内失業者があふれる状態になったのでした。

私は、そのころ2021年4月から地元・滋賀県の就労支援期間「しがジョブパーク」で就職氷河期世代支援の担当者として、各事業の企画立案に取り組もうとしているところでした。
昨年(2021年)、一年間、県の就職氷河期世代支援を担当し、現場で様々な課題に直面しました。


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◇藤井 哲也(ふじい・てつや)
株式会社パブリックX 代表取締役/一般社団法人官民共創未来コンソーシアム事務局長
1978年10月生まれ、滋賀県大津市出身の42歳。2003年に急増していたフリーター・ニートなどの雇用労政問題に取り組むべく創業。人材紹介、求人サイト運営、職業訓練校運営、人事組織コンサルティングや国・自治体の就労支援事業の受託運営等に取り組む。2011年に政治行政領域に活動の幅を広げ、地方議員として地方の産業・労働政策の企画立案などに取り組む。東京での政策ロビイング活動や地方自治体の政策立案コンサルティングを経て、2020年に京都で第二創業。京都大学公共政策大学院修了(MPP)。日本労務学会所属。議会マニフェスト大賞グランプリ受賞。国際Aマッチ通算0試合出場0得点。1メートル68、66キロ。利き足は右。

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