現実

僕は主に絵を描いて生きることを志しています。暗めの絵を描きます。
ここでは広汎性発達障害、強迫性障害の僕について話していきます。


僕には広汎性発達障害と強迫性障害があります。
障害というからには障害を持った僕は障害者なんだと思います。

僕が障害と聞いてまず浮かべるのが身体障害。つぎが知的障害です。
精神障害って原因もよくわかっていないことがあって、おんなじ障害でも症状もさまざま、とにかく曖昧なのが理由なのか、軽く見られがちな気がします。見た感じからわかりにくいのもあるのか、健常者と区別がつかない場合も多いと思います。
精神障害だけが怠けや甘えと処理されることも多いですよね。

そもそも障害の名前だけが最悪レッテルとして一人歩きしてって、症状をよく知りもしないひとがあれってああらしいこうらしいとデマを言ってたとしてもちがうと証明する手段ってないかむずかしいと思うんですよね。で、なぜかデマの方を信じちゃうんですよね。

そしてたぶん健常者でもだれでも病院を受診して問診を受ければ一日で何かしらの障害者にされるんじゃないかと思うくらい問診っていーかげんですよね。正直ネットに転がってるのとおんなじだし、どう答えれば何と診断されるってのもすぐにわかると思います。

僕は精神障害者であることを健常者で精神障害と関わりなく生きてきたひとに理解してもらうのはとってもとってもむずかしいと思います。僕は理解されないのが当たり前と思って生きています。
そんな僕でもこんな障害があるんだよ〜と説明することはあります。理解されなくても、傾向があることをなんとなく知っておいてほしいと思った相手だからです。ですが、家族が相手であってもそれがうまくいかないのが現状です。
母にはときどきめんどくさいなら・嫌なら、やめればいいのにと言われます。やめることがカンタンには出来ないんです。それをすることによって症状が悪化する可能性も大きくあります。下手すれば寝たきりのはじまりです。僕はそれがこわい。
それなのに、なぜか「出来ない」とひとに言うのは特に社会ではなかなかむずかしいですよね。
努力してないように聞こえるからな気がしますが、障害を持った時点で生きるだけで努力していると思います。ということは休みなく努力しているということです。休みなく仕事しつづけられる人間がいますか?
ですがそんな努力してるひとには申し訳ないんですが、むずかしいんだけど「出来ない」と言うしかないというのが僕の意見です。
障害者自身が障害者であると宣言することは大事だと僕は思います。それに対して怠けや甘えなど言うほうもおかしいことに気づいてもらいたい。
分からなくても理解出来なくても、それはいじめだということに気づいてほしい。
それくらいはだめだって判断出来ると思うので。

支離滅裂になってきたので今回は終わります。

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