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僕と学校

僕は主に絵を描いて生きることを志しています。暗めの絵を描きます。
ここでは広汎性発達障害、強迫性障害の僕について話していきます。



今回は小さいころから学生時代までの障害に関わりがありそうなことを話していきたいと思います。

母から聞いた話からはじまります。必ず同じ方向を向いて寝るのでドーナツクッションなどで対処していたそうですがうまくいかず、いまも頭が歪んでいます。
夜寝かしつけるのに苦労していたようです。

保育園から幼稚園に行ったのですが、保育園は朝どうしても起きないからという理由で中退しましたがまだあとで中身を話します。
家では子ども用の教材の広告が入ると算数をさせられるんですが、何もわからず叱られるばかりでした。母は怒るか寝ていて、父は仕事に行っていたのかおらず、なぜか家から勝手に出てはいけないルールがあったので知らない友だちが僕を呼びに来るのを待つ日々でした。呼びに来る友だち(?)はいたのですが、はじめの頃来ていた友だちとしていたことは言うのをはばかられる内容です。
保育園の話に戻ります。最初のころはトイレでトイレをしない、みんなとおんなじ部屋にいて(お友だちとふたりきりで体育館へ行く)おんなじ行動がとれない(紙芝居を横になったまま見る)などありました。みんながお昼寝している時間にひとりだけ職員室の先生の足にすり寄って寝たような記憶があります。調子に乗ると色とりどりの石灰の入った泥水を飲むような気持ちの悪い子でした。
いまも続くことなのですが、らくがき帳に描いた線がなんとなく(描きかたや線の形など)気に入らなくて紙をたくさん捨てていました。その紙を拾って妹が絵を描いていたのを覚えています。

幼稚園では木陰のじめっとした場所にあったカエルが無数に住み着く大きなタイヤに座って嘘ばかり吐いていました。きのうは家に泥棒が100人入ったなど話していましたが、対抗するように嘘を吐く女の子がいました。はじめての友だちだったのかもしれないといま思いました。

小学一年生になり、いままでとちがう空間に閉じ込められておんなじ作業を強要され時間にしばられるようになりました。もうほんとにナゾでした。何もわからなくて泣いてばかりいたと思います。忘れものがひどく毎日マッキーを持って行き忘れては怒鳴られていたような気がします。

小学四年生で祖母が倒れ、介護が必要になりました。祖母は心臓が一度止まったせいなのか記憶がほとんどなくなってしまいました。自分のことを自分で出来ないほどになっていました。
大好きだった祖母が祖母じゃなくなったと感じました。それならもう死んでもいいとさえ僕は思っていました。学校が終わると病院まで歩いて行くのですが、そこで憂鬱を覚えた気がします。排泄の手伝いが出来ずいい加減に済ませたり逃げたりしていました。

小学六年生で思春期に入ったのか人前でごはんを食べるのがすごく恥ずかしいことに感じるようになり、食べるというより食べさせられているような気持ちが強くなりました。給食が時間内に食べきれないのでパンを隠し持って帰ったり牛乳をひとにあげたり、限界まで食べる量を減らしてやっと休み時間が終わるまでに食べ終わるほどでした。

中学生になると、朝おなかが鳴るのが気になるようになるんですがそれでも給食を思ったように食べられませんでした。
中学一年生の最初の中間テストで真ん中らへんの順位になってから、調子に乗ってしまい授業中に勉強をしていた記憶があると言っていいのかわからないほど何もしていませんでした。だんだんと黒板に書いてあることを写すのも出来なくなりやめました。
ふつうなら三年間おんなじ部活を続けるのですが、僕は一年ごとに部活を変えていました。内申とやらが最悪だったと思います。
中学では問題児扱いだったのかあからさまに特定の教員に嫌われていました。そこは胸糞悪いので話さないでおきます。

ぎりぎり高校生になるとよく手を洗う、ノートに書いた文字が気に入らなくて仮に書き取った文字を清書し直すという作業をするようになりました。体重が気になり食べたものを吐いていましたが、学校のお手洗いでは続けるのがむずかしかったのですぐにやめました。このころもひとに食べる姿を見られたくなかったのでパンひとつで朝とお昼を済ませていました。
気づけば家族が好きということもなく、なんとなく嫌な空間である食卓で食べる気もしませんでした。出されたものを食べていたのかどうかさえ記憶にありません。
いつの間にか両親の夫婦仲が悪くなっていました。あとから聞くと僕のことで喧嘩になることも多かったようです。
いま思うとその日あった出来事を話したり、あした学校で必要なものを言っておいたり、とにかく家族とふつうの当然の、というような会話をしていた記憶がないんですよね。

そんなこんなで社会人になるか学生を続けるか選択を迫られ、最初は社会人を選んだ僕ですが面接の練習で泣いている子を見てあっさり学生を続ける方向に変えました。
そんな理由で選んだ短大生活です。なぜかはじめたバイトと両立出来ずに出席が足りなくなりました。ノートの字が汚いことやトイレにハンドソープがないこと、朝起きられないそのときの僕は問題だらけでした。
両親にどうするのか迫られてるなか、父に言えない母の秘密や「続けたい」と言って欲しい雰囲気を出す父の前で何も言えずにいました。母が「行きたくないんならやめろ」と僕に繰り返し言いました。言葉どおり短大をやめました。最終学歴短大中退です。

僕の学校編をとりあえず終わります。

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