あたりまえ

僕は主に絵を描いて生きることを志しています。暗めの絵を描きます。
ここでは広汎性発達障害、強迫性障害の僕について話していきます。


きのうは障害者であることを周りに言っていくことって大事な気がするって話をしました。今回は補足を書いておきます。

まず言いたいのは、障害者に対してどう接するかは相手しだいなので、自分が障害者であると伝えたとしても相手にやさしくされるとは限りません。なのでやさしくしてくれるひとがもしも居たら感謝の気持ちを表しましょう。


「なんで産んだんだろう」
「親に責任がある」
「親が養うのが当たり前」
など多くのひとが考えしまうときがあると思います。
僕は上のことばを全部母に言ったことがあります。ですが、いまはどれもまちがいだったと思います。

母はそもそも子どもが嫌いなひとだったのに僕を産みました。姿かたちがどうであれ僕を育てていく覚悟があって産んだようなことを話しているのを聞いたことがあります。ちなみに僕にはそんな覚悟はありません。
それはそれとして、僕はそんな母に対して「なんで産んだん」と言ったことをいまでは反省しています。覚悟があったとしても、障害者として産まれてしまった僕をここまで育ててくれたからです。

つくって産んだほうにも責任がありますが、産まれたほうにも死なない限りはそれなりに生きる責任や義務があると僕は思うのです。
生きるのはタダというわけにはいかないですし、タダで生きられたとしてもそれは誰かのおかげです。


最後に言いたいのは、「感謝」がどうたら言いましたがそれをするかしないかもあなたしだいで決めていいんですよ。
今回は説教臭くなったかもしれません。
最後まで読んでくださってありがとうございます。

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