西国28番・成相寺 昭和の夏休みと橋立を満喫
28番成相寺は天橋立とセットだけど、できるだけふもとからあるきたい。
丹後国分寺の遺跡に府立丹後郷土資料館があるからここを出発点とした。
内海をへだてて天橋立の松林が横たわるのがのぞめる。風光明媚で、しかも人里からちかいところに国分寺はつくられたのだという。
資料館(300円)にはいくつか興味深い展示があった。
たとえば「藤織」。奈良時代からつくられ、江戸時代に木綿が普及して衰退したが、木綿の入手ができない地域で明治以降ものこった。冬場に女性が織ってきた丹後半島の山間地は、戦後唯一の伝承地となったという。裂織が日本海側に多いのは綿花栽培に適さないからという。
資料館から成相寺までは地図でみると2キロほどだ。40分程度かなとめどをつける。
谷間の道をさかのぼると、山にはさまれた空は真っ青で、入道雲がそだっている。ツクツクボウシとアブラゼミとミンミンゼミの声がひびき、日差しはきついのだけど、日陰で風が吹くとさわやかで、子どものころ熊本ですごした夏休みを思いだす。
ありあまるほど時間があって、スイカとアイスがたのしみで、山の上の神社にのぼると湧き水があって、がぶ飲みした。永遠につづくような退屈な夏休みは「幸せ」の象徴だった。
クラクラするような透明な空。のどが渇いたなあ。ふと山際をみると水場がある。顔を洗い、水筒にためてごくごくのむと、体の芯からひえてきて甘みさえかんじる。冷蔵庫になれた生活でわすれていたおいしさだ。徒歩や自転車旅行者にはコンビニがありがたい。昔の旅人にとっての「湧き水」はそれ以上にありがたい存在だったのだろう。
45分ほどで寺の料金所(500円)に着いた。
手前の山上の展望台にのぼると、天橋立が一望できる。宮津市街はもちろん、遠く京都の愛宕山までうっすらとのぞめる。標高は300メートルちょっと。冬には1メートル以上の雪がつもるという。
鐘楼にはこんな伝説がある。寺で梵鐘をつくる際、寄付をもとめると一軒の女房だけ「寺に寄付するようなものなにひとつない。子供なら沢山いるのでもっていけ」と、抱いていた赤子をさしだしてからかった。
熱した銅を鋳型にながしこもうとしたとき、女房が赤子を火炉に落としてしまった。
赤子をのみこんだ鐘は、櫓につるしてつくと赤子の泣き声がひびきわたった。人々は気味悪がって鐘を撞くことをやめた。以来、「撞かずの鐘」とよばれるようになった。
本尊は身代わり観音、美人観音とよばれる聖観音。千手観音や十一面観音のような特徴がなく、もっとも人間の姿にちかい観音だ。人間の姿にちかいから「美人観音」となったのだろう。
寺から尾根の道を20分ほどくだると傘松公園にでた。20数年ぶりだろうか。前回はカニを食べるツアーだった。
寺の展望台より橋立がちかくて、股のぞきをすると、たしかに空に橋がかかったようにみえた。
ケーブルカーやリフトにはのらず、700メートルほどをあるいてくだると、土産物屋がならんでいる。
籠神社へ。崇神天皇のころに天照大神が大和からうつり、垂仁天皇の御代に天照大神が、雄略天皇のときに豊受大神が伊勢にうつった。だから「元伊勢」という。
狛犬が重要文化財というのはめずらしい。「胴と脚がどっしりして日本化された狛犬の最大傑作」なんだそうだ。たしかに腕の太さは半端じゃない。
橋立の船着場からはレンタサイクルで天橋立をはしれるが、観光する気にはなれなかった。
「天平の道」と名づけられた田んぼの道を40分たどって資料館にもどった。