京都ボヘミアン物語⑨サバイバル㊤みそを巡る10時間論争
ボヘミアンの最大のイベントは8月のサバイバルだ。前年の最初のサバイバルは鹿児島だった。2回目はどうするか?
6月中旬、場所の選定からはじまる。
標高300メートルを超える山があれば、その谷には水があるはずだ。集落や道路からはなれた無人の浜で、その条件にあう場所をさがす。
まずはロードマップで道路のない海岸がどこにあるかあたりをつけ、その後、国土地理院の5万分の1の地形図を入手して検討する。その結果、島根県の50キロ北にうかぶ隠岐・島前の西ノ島にきまった。隠岐は教祖「りょうさん」の故郷だが、教祖はすでにサークルを引退して司法試験の勉強をしているから参加しない。
サバイバルとはなにか?
最低限の食料だけ持参し、海の魚や山の山菜を調達するキャンプだ。
ところがその定義をめぐって紛糾した。
テントは快適すぎるからもっていかない。かわりに雨をしのぐための青いビニールシートを用意することにした。最低限のカロリーを補給するために米と塩を持参することもすんなりきまった。
問題はみそだ。
「米とみそはセットであり、最低限の食事や」
みそ肯定派の主張にたいして、ぼくらはまっこうから反論した。
「みそはぜいたくであり、みそだけでおかずになりうる。それではサバイバルといえない」
「サバイバルといっても禁欲的すぎるキャンプはつまらん。つらくてがまんするだけなんて無意味や」
「ふつうのキャンプになったら、わざわざサバイバルをする意味がない」……
1日目、こんなかんじで5時間議論しても結論がでなかった。
2日目はさらにヒートアップした。
激論の口火を切ったのは2回生のコツボだ。もちろん彼は、ストイックな原理主義的みそ否定論者だ。
「おまえら(肯定派)は、ボヘになにをもとめてるんや。ふつうのサークルとおなじことをしていては自分の殻はやぶれへんで」
ボヘミアンはひたすら遊ぶことを旨としていたが、その裏には「自分の殻をやぶる」「人間性を解放する」という崇高な目的がある……と、ぼくたちはなかば信じていた。
コツボの発言にみそ肯定派のひとりが切れた。
「サバイバルごときで人間の殻をやぶるという考え方そのものがおかしい!」
コツボが応じた。
「そもそもそれぞれがボヘミアンになにをもとめているか、根本から議論しなおそう」
なんだか哲学論争の様相を帯びてきた。議論がさらに広がりそうだ。
(やばいな、こりゃ長くなるぞ)
2日目も結論はでず、みそ論議は10時間を超えた。
3日目、連日の議論にだれもが疲弊しきっていた。
それまであまり発言せずに議論に耳をかたむけるふりをしていたセージがおもむろに口をひらいた。
「サバイバルの半分の期間だけみそをみとめ、半分の期間はみそなしということでどうや?」
「ザイールの石油王の隠し子」というハッタリからはじまり、やくざもだまらせる迫力の風貌もあり、だれもが彼には一目おいていた。さらに教祖以外に肩書きのないボヘミアンにおいて、セージはみずから「隊長」を名のるようになっていた。椎名誠の「わしらは怪しい探険隊」の影響だ。
セージ隊長が提示したまぬけな折衷案にみんなが深くうなずいた。
20時間の議論はなんだったんだ!
で、実際はどうなったか?
現地の無人の浜に到着した翌日からみそ汁をつくった。
「やっぱりみそ汁はうまい!」と、みんなで喜んですすった。
さらにある夜、2回生のクマが「実はこんなものがある」とリュックから黒い物体をとりだした。チョコレートだ。
さんざん議論してつくったルールを無視して持参し、しかしひとりで食べずに正直に申告したクマを、その場にいた数名はほめたたえ、チョコを等分にわけてむさぼった。人生で一番うまいチョコだった。
このほかサバイバル前には、看護学生をよんで、マムシにかまれたときの対処法も勉強したが、その目的は技術習得ではなく、看護学生との交流だったと記憶している。
□ □
ここまでの文章をネットに公表したら、大学卒業以来一度もあっていないクスノキから「みそをつかえることになった証拠がある」と、当時の例会の資料がおくられてきた。
醤油1リットル、塩1キロ、砂糖1キロ、油600g、白みそ500g……。これらは共同装備だ。
おどろいたのは各自でもっていく米麦の量だ。米と麦の割合は3対1で、「1人1日4合、7日で30合(4キロ)」と書いてある。1日4合って、宮澤賢治の「雨ニモマケズ」にでてくる玄米とおなじ量だ。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ……
この作品は、手帳に記されていたのを賢治の死後に発見された。亡くなる2年前、1931年11月に病床で書いたものとされる。「『雨ニモマケズ』に書かれた献立メニューの謎」(廣瀬正明、モリアンド創作室)によると、「4合」は、医者だった森鴎外が「丈夫な体をもつ日本人が1日に食べる米の量が602g(約4合)」と書いたことに影響された可能性があるという。病弱な賢治にとって4合という量は「願望」だったと廣瀬氏は結論づけている。
ちなみに1石(150キロ)が大人1人が1年間に食べる米の量とされ、「百万石」は百万人分の米を意味した(米だけを主食とする人は少数派だったが)。
米の1人あたりの年間消費量は、1962年度の118キロ(1日323グラム=2合)がピークで、2020年度は50.7キロ(139グラム=1合弱)まで減少している。
ぼくはいま、炊飯器で2合の玄米を炊くと5回にわけて食べている。毎日3食ごはんを食べたとしても180グラム。学生時代の3分の1しか食べていないんだな。(つづく)
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