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三陸へ①岩窟に石仏 松島の雄島は中世の霊場 津波被害が最小だったのはなぜ?
福島は津波と原発事故におそわれた。原発事故がなくて津波の襲来をうけた地域となにがちがうのだろう? 宮城と三陸の海岸をたどってみることにした。まずは名勝の松島をめざした。
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福島市から1時間も走ると宮城県にはいる。仙台を高速道路で迂回して松島に到着した。福島の浜通りから会津にむかうよりよほど近い。南相馬から宮城県に避難した人が多かった理由がよくわかる。
松島の中心部は観光客が多くて息がつまるから、南へ徒歩10分ほどの、雄島にむかった。南北230㍍、東西50㍍の細長い島である。
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朱塗りの渡月橋で島にわたると、露出した岩盤のあちこちに岩窟がある。かつては108をかぞえ、今も50前後のこっているそうだ。
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崖を掘った短い隧道をぬけると、岩窟の崖に三方をかこまれた平地にでる。平安時代末期(12世紀はじめ)に見仏上人が12年間かけて法華経6万部を読誦した庵のあった場所だ。
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海をのぞむ高台にある六角形の覆堂には奥州三古碑の一つ「頼賢の碑」がおさめられている。頼賢は1285(弘安8)年から22年間島にこもって修行し、見仏上人の再来といわれた。
岩窟をひとつひとつのぞくと、石仏や石碑、五輪塔などが無数に彫られている。中世の松島は「奥州の高野」とよばれ、死者供養の巡礼者がつどう霊場だったのだ。
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神や仏が見えるわけではないけれど、岩窟の磨崖仏を前にすると、数百年にわたる人々の祈りの声がきこえてくるような気がする。
2006年には海底から2000以上の板碑がみつかり、かつておびただしい数の供養塔がたっていたことがわかった。明治から大正にかけての公園化事業でじゃまになったため、海中に捨てられたという。
松尾芭蕉が句をよむことで「名所」となり、明治以降の公園化によって霊場から観光地へと変貌したのだ。
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松島の岩窟きざむ石仏に祈りの声が風にまろびつ
これは芭蕉の句ではなく、観光客の落書きらしい。
東日本大震災で10メートルを超える巨大津波がおしよせた南三陸地方や福島よりも松島は震源に近い。三陸沿岸では,リアス式海岸(沈水海岸)の地形によって湾奥にパワーが集中し、20mを超える津波遡上高が記録され壊滅的な被害をもたらした。松島町の隣の東松島市では 8~9m の津波浸水高を記録して、死者・行方不明者は1143人をかぞえた。
だが、雄島では渡月橋は流出したものの、海抜10メートルもない斜面の岩窟が被害をうけていない。海抜6メートルほどの島にある五大堂も津波の被害をまぬがれた。松島町では津波浸水高は3m程度で、死者は2人にとどまった。
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なぜだろう?
松島湾の出口に点在する島々が,天然の防潮堤の役割をはたしたらしい。
でもなぜ、三陸沿岸と同様のリアス式海岸なのにこれほどの差がでたのか。
香川大学の長谷川修一教授は震災後、松島湾内に点在する島は、巨大な地すべりによって移動した流山であるという仮説を発表した。それならば、三陸海岸との被害の差を理解しやすい。だが彼自身が松島のボーリング調査(2014〜16)をしたところ、地滑り説の証拠は得られなかったという。
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島の上から、松島を形成する島々が展望できる。
那智勝浦の海に似ている。よくかんがえたら那智の海は「紀の松島」とよばれていた。宮城の松島が本家なのだ。でも、カヌーで海をこぎまわったせいか、本場よりも紀の松島のほうがぼくは好きかな。
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