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叡山のはじまりは巨大磐座 焼き討ち前の信仰示す千体地蔵
引退僧侶の里坊がならぶ門前町
京都の修学院離宮から比叡山にのぼり、滋賀県側の坂本におりる道は10回以上たどっているが、滋賀側の日吉大社などはほとんど見学したことがなかった。だが実は叡山信仰は京都側ではなく滋賀側にはじまり、日吉大社こそがその原点なのだと最近になって知った。
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6月半ば、京阪の坂本比叡山口駅から1.5キロほど北にある西教寺にむかった。坂本の町は日吉大社や比叡山延暦寺の門前町であるとともに、僧侶の隠居所の里坊がならんでいた。穴太衆積みの石垣や塀をめぐらす屋敷が残っており、1997年に重要伝統的建造物群保存地区にえらばれた。学生時代によく歩いたころは伝建地区にはなっておらず、町並みを意識したこともなかった。
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比叡山の手前に、端正な神奈備山があり、その頂上近くに社殿が見える。たぶんこの山が日吉大社の本来の神体山なのだろう。小さな山だから以前は意識したこともなかった。
600年19万日の「不断念仏」
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20分ほどで、天台真盛宗の西教寺に着いた。参道の両側には6つの塔頭がならび、想像以上に大きな寺だ。本堂周辺からは琵琶湖を望める。
西教寺は「不断念仏」で知られている。室町時代に比叡山で修行し、寺を再興させた真盛(1443~95年)がはじめた。1日も絶やさず念仏をとなえつづける修行で、1万日ごとに大法会をいとなむ。前回は2022年11月の19万日目だった。
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織田信長による比叡山焼き討ち(1571年)で寺は焼失したが、坂本城主となった明智光秀が3年後に再建した。総門は光秀存命中に坂本城の門を移築し、客殿は、京都・伏見城の旧殿を1598年に移築したといわれている。明智光秀の墓もあるが、彼は現在の京都市伏見区小栗栖の竹藪で自害しており、本当に西教寺に埋葬されたわけではないのだろう。
境内にずらりとならぶ二十五菩薩石仏は焼き討ち後の1584年につくられた。焼き討ちによってすべてが灰燼に帰し、新たな歴史がはじまったことがよくわかる。
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坂本の町は寺や神社だらけで、あちこちに石仏がある。丸石がごろごろころがっているから、山梨と同様の道祖神信仰かと思ったが、どうやら五輪塔の一部らしい。なぜ大量の五輪塔があつめられているのだろう。
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西教寺から日吉大社方面に10分ほど歩いた琵琶湖を見わたす斜面に数百体の地蔵があつめられている。「八講堂千体地蔵」。比叡山は一般人の参詣がかぎられていたため、山麓で像をまつった。江戸時代になって田畑に鍬をいれると、地蔵尊があちこちから出土してこの場にあつめられた。信長の焼き討ち前の比叡山にたいする民間信仰の広まりをしめしているようだ。
朝廷への強訴で活躍した神輿
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日吉大社東大宮(300円)の本殿は国宝だ。
神輿保管庫にならぶ「山王神輿」は全国の神輿のルーツで、平安から室町にかけての370年余りで40数回の上洛強訴があった。重さ500貫(2トン)の神輿を海抜850メートルの日枝山(比叡山)にかつぎあげて入洛した。平安時代の神輿は信長の焼き討ちで焼失したが、その後、再建され、14基が現存している。
琵琶湖の対岸の近江富士を遠望する巨大磐座
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日吉大社の信仰の原点でる八王子山(牛尾山)が今回の目的地だ。
急坂を約20分、八王子山(381メートル)の山頂近くまでのぼりつめると、牛尾宮と三宮宮というふたつの拝殿(1595年築)がならんでいる。いずれも、岩壁に寄り添うように柱を組みあげ、その上に建物を配した、清水寺などで知られる「懸造」だ。
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拝殿にはさまれた階段をのぼった奥に、高さ10メートルほどの巨大な磐座「金大巌」があり、注連縄がはってある。
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ここからは、JR湖西線や湖西道路、琵琶湖、対岸の近江富士まで一望できる。神奈備の山とこの景色だけで、「聖地」だったことがよくわかる。
この山が、神が降臨した本来の鎮座地であり、現在の東本宮は八王子山の里宮だと考えられるという。最澄はそうした古い信仰の聖地を利用する形で延暦寺を創建したのだ。
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楼門の「棟持猿」(むなもちさる)がユニークな西大宮をへて、門前の六角堂にまつられた「かくれんぼう地蔵」をお参りして帰途についた。
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