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京都ボヘミアン物語㉗付録・ママがオトコになった日

 1987年、3回生の夏にチベットやインド、タイなどを旅したとしるしていて、ふとおもいだした。
 3回生になってみえない壁にぶちあたっていたぼくは「世界1周」を漠然とかんがえはじめていた。
 法学部生だったセージは、周囲の連中が猫も杓子も弁護士をめざしていることにうんざりして、「ああいう付和雷同の連中にはオレななれへん」と断言し、「世界1周計画」にのってきた。
 ボヘハウスでの話し合いで、ぼくが南米まわり、セージはアジアまわりで旅して、西アフリカのザイール(コンゴ民主共和国)のジャングルでおちあう計画をたてた。
 1987年夏のチベット・インド旅行はその前哨戦であり、セージもまた、インドネシアやマレーシア、タイをたどる予定で旅立った。タイのバンコクの安宿で9月におちあうことにして、予定がくるった場合は置き手紙をすることにきめた。
 ぼくは、上海からチベットにむかい、ヒマラヤをこえてネパールにでて、インドからタイにとんだ。予定より2週間おくれてバンコクの安宿にチェックインした。
 セージはとうに通過したろうと予想していたが、置き手紙はなかった。

 帰国して事情が判明した。
 彼はマレーシアについて、そのままどこにもいかず沈没していたのだ。
「ええ子にであってなぁ。まっ、ほれたってわけや」
 大阪の女子大生だという。
 恋愛にまさる一大事はないから、みんなが祝福した。
 ところがひとつ問題があった。
 彼女にはインド系マレーシア人のボーイフレンドがいた。セージとつきあうことをつたえると、セージと対決するために日本にくるという。

「対決って、かっこええなぁ」
「武器が必要やろ、水鉄砲ぐらいもっていったらどうや」
「生協食堂のナイフがええんちゃうか?」

 ぼくらは好き勝手にはやしながらその日を心待ちにした。
 ついに「彼」が来日し、対決にむかうセージをはげますため、ぼくらはボヘハウスで壮行会をひらいた。セージはいつもよりパリッとした襟つきのシャツを着ている。
「じゃっ、いってくるわ」
 緊張でひきつった笑みをうかべて、それでもかっこつけて、ふりかえらずに片手をあげてボヘハウスをあとにした。

3時間後、彼は死なずにかえってきた。刀折れ矢尽きるたたかいだったのだろう。パリッとしていたシャツはよれよれになっている。
「で、どないだったんや?」
「なぐりあったんか?」
「銃撃戦か?」
 ぼくらは質問をあびせる。
 セージは大きなため息をついてひとことだけもらした。
「むっちゃ、緊張したわぁ……」
 対決に勝利し、無事事態は収束したらしい。
「おまえ、えらかったなぁ」と、ぼくらは心から祝福した。

 隠岐の島でおぼれて以来「隊長」の権威は失墜し、タケダとシノミーに翻弄されて「ボヘハウスのママ」となっていたが、彼はオトコだったのだ。
「ママが漢(おとこ)になった日」とぼくらはその日を名づけた。「漢」をオトコとよませるのは「北斗の拳」の影響だ。
 その日は何月何日だったのだろう? セージのシャツは長袖だから夏ではないのはたしかだけど、季節もおぼえていない。1987年のニュース一覧をながめてやっとおもいだした。
 11月29日、大韓航空機が、北朝鮮の工作員によって飛行中に爆破された。「蜂谷真一」と「蜂谷真由美」という日本人の名が容疑者としてテレビにながれてびっくりした。「ママがオトコになった日」はその何日かあとだった。
「セーキの大事件」よりも「セージの対決」のほうが、ぼくらにとっては衝撃度が大きかったようだ。いかに内向きな生活をしていたかよくわかる。

その後、セージの彼女がボヘハウスに遊びにくるようになると、同室居住者のシノミーは気をつかって「おれ、きょうはかえってこんから」と留守にした。
 彼女がくるから、セージはみずからすすんで、せっせとトイレを掃除するようになった。「オトコ」になったはずなのに「ママ度」はむしろアップした。そして二度と「世界一周」の話は口にしなかった。
「付和雷同で弁護士を志望するような連中」をばかにしていたセージはその後、弁護士になった。
 その後の姿については、2017年に発表されたアングラ漫画があるので、のちほど再掲しようとおもう。

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