京都ボヘミアン物語⑥必須スキルはヒッチハイク
当時のボヘミアンは女人禁制だったが、それ以外は入会資格の制限はない。ただし、これができなればボヘミアンつづけられない、という必須スキルがあった。
ヒッチハイクだ。
道端で親指を立て、車に乗せてもらうあの技術だ。
高校時代、何度か経験していたが、それは公共交通機関がない田舎でのことだった。ボヘミアンでは、都心部以外は基本的にヒッチハイクで旅する。
その最初の洗礼が梅雨入り前の6月の旅行だった。
例会で行き先は天橋立と城崎温泉ときめた。
それから所持金をいくらにするか議論した。金額が多すぎると安易に電車をつかってしまう。3泊4日でいくらにするか。
「ヒッチで旅行するなら1日1000円あれば十分やろ」
「体調を崩したりしたらどうするんや。医者にも行けへんやん」
「ふつうの旅行になってもつまらんやん」
「そんなストイックにしたら旅行がおもろない。金額を制限されるのはいやや」
延々5時間議論した結果「所持金5500円」と決定した。
西京区郊外の国道9号線まで路線バスででて、いっせいにスタートする。初日の夜の集合地点は「天橋立駅付近の知恩寺境内」とした。
携帯電話などない時代だから、「間に合わない場合は各駅に電話」「後続への連絡は駅の掲示板」と申し合わせた。
ヒッチハイクは、交通量の多い都市部ではむずかしい。最初の1台に乗せてもらうまで30分かかった。
国道が片側1車線にせばまると、ヒッチハイクは楽になる。10分も親指をたてていれば停車してくれる。
その後、回数をこなしてなれてくると、大学のある百万遍から、まちがって停車するタクシーをかいくぐりながら親指をたてるようになった。タクシードライバーには迷惑な話だ。
ヒッチは童顔のほうが有利だ。「かわいそう」と思われるのだろう。小柄で色が白いコヤマはだれよりもはやく集合場所に到着した。もてるやつは若い女の子に乗せてもらうことが多い。女の子の車にのせてもらって、夕方の集合場所にあらわれないヤツもいた。ぼくはまあ標準的だったが、残念ながら女の子に乗せてもらうことはめったになかった。
いつも一番おそく到着するのは「ザイールの石油王の隠し子」のセージだ。
色が黒く、目が離れていて、あやしい風貌は年齢不詳だから、なかなか車に乗せてもらえないのだ。
夕方、全員がそろうと、川原や海辺で火をたいて、飯をたき、酒を飲み、駅や神社の境内、学校の渡り廊下などで寝袋にくるまった。通報されたり排除されたりしない大らかな時代だった。
5月の旅行でヒッチハイクを経験すると、交通機関をつかうのがばからしくなる。
実家の埼玉に帰るときは、京都南インターの入口で、「名古屋方面」などとスケッチブックに記して親指をたてた。
1台で東京までは行けないから、途中のサービスエリアでおろしてもらい、SAの出口で次の車をつかまえる。東京まで約7時間だから、青春18切符で普通列車を乗り継ぐより3時間は速かった。
8月には北海道をひとりでヒッチハイクで旅した。青函連絡船の料金をのぞいた予算を20日間2万円と決めた。
「非常識だ。そんなことできるわけがない。実現したら3万円払ってやるよ」
高校時代の友人がばかにしやがった。
出発前、彼に所持品をすべてチェックさせ、2万円だけ財布に入れた。銀行のカードもあずけた。3日に一度、鉄道駅の入場券を買って証拠とすることにした。(写メなんて便利なものはなかった)
国道4号線をたどり、青森でねぶた祭りを見学してから函館にわたる。「北海道三大秘湖」のひとつで支笏湖のわきにあるオコタンペ湖をたずね、札幌をへて層雲峡から大雪に登った。
大雪は森林限界を越えるから薪がないはずだ。登る途中に小枝をひろって、黒岳石室のキャンプ場でたき火をしようとしたら「ここは禁止だよ」と怒られた。国立公園はたき火禁止とは知らなかった。
山小屋でカップラーメンを買って、持参の生米をそれにくわえて湯をそそぎ、ボリボリ食べていると、隣のテントの東京のOLさんがパンをめぐんでくれた。
天売島や焼尻島、知床半島の羅臼岳……。野宿をしながら旅をつづける。
8月12日、網走駅の待合所で休憩していると、テレビが緊急速報を流した。日航ジャンボ機が群馬県の山中で消息を絶ったという。知り合いが乗っているのでは? 目の前が真っ暗になったが、乗客名簿に知人の名前はないようだ。旅を続行する。
帯広近くの山中で日が暮れて、道端にテントを張って寝ようとしたら、乗用車が目の前で急停車した。
「きみ、ちょっと車に乗ってくれないか。テントも荷物も後ろにつんで!」
「ここで寝るからいいです」と言うと、
「いいから言うことを聞いて!」
勢いに押されて車に乗りこんだ。
近くの診療所の医師で、意識を失って倒れたという患者の家にむかう途中だという。助手をしている奧さんが留守だから、なにかのときに手伝ってほしい、とのことだ。
患者宅に到着すると、すでに意識は回復していた。
医師の診療所にもどり、焼肉や酒をたらふくごちそうになり、診察室のベッドに泊めてもらった。翌朝はヒッチハイクしやすい国道まで送ってくれて、「はい、バイト代」と言って茶封筒をくれた。1万円札がはいっていた。
そのほかにも「たまにはうまいものを食え」と、昼食をごちそうになったり、小遣いをもらったりした。2万円しか持参しなかったのに、20日間で計4万円つかった。(そのほか、コンブ採りのアルバイトで2万円稼いだ)
友人との賭けには勝った。でも3万円をうけとったかどうかは記憶にない。
「羞恥心を捨てて人間性が解放され、多少の苦境はなんとかなるさという楽観性が育ち、なにより人を好きになることができた」
ヒッチハイクと麻雀の名人といわれたコヤマは、後にそうふりかえった。そのとおりだと、ぼくも思う。
……ここまでネットに公表したら、コヤマが「ヒッチの秘訣」を送ってきた。
「おれは5分と待ったことがなく車を拾えてたな。やっぱ笑顔やで。うれしい、楽しい、おいしい、ありがとうとか、満面の笑みで顔にだすといいことがあるから今も飲み屋とかで励行してるで。数年前に仕事で高速を走ってる時に大学生のヒッチハイカーを拾ったけど、聞いたら1時間くらい待ってたと。そんでその大学生に表情が暗いからあかんって指導したったわ」
彼はヒッチハイクでつちかった「笑顔」で、その後、芸能界に身をおき、やくざともわたりあってきた。
ヒッチが苦手だったセージからもメッセージがとどいた。
「コヤマとくんでヒッチをするとうまくいってたなー。俺は道端の茂みにかくれて、コヤマが車を停めてからでていくねん」
わかったよ。つらかったな。プライドずたずただったやろ。でもそこまで卑屈にならんでええからな、よしよし(涙)。
「ヒッチの秘訣12条」(最初のヒッチ旅行前、2回生のヤマネがわれわれ1回生にえらそうに訓示した)
①人なつっこい笑顔で警戒心を解け
②なしくずしに乗せてもらえ
③有無を言わせるな
④好青年を装え
⑤寝てはいけない
⑥シートベルトは忘れずに
⑦現在地の確認を怠るな
⑧国道の分岐点に注意
⑨予定が狂っても気楽に行こう
⑩ドライバーとは友だちに。住所・名前を聞いてハガキを出そう
⑪降りるときは芸をせよ
⑫飲んだら乗るな ヤマネ(二日酔いでヒッチをしてドライバーに多大な迷惑をかけた経験から) (つづく)
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