西国12番岩間寺〜13番石山寺 山の海洋信仰、奇岩の山岳信仰
醍醐寺を守護する女神のお宮
上醍醐寺から東への山道をくだると、杉の森のなかに大規模な石垣が残っている。いったいなにがあったのだろう。
くだりきると西笠取だ。京都の市街地からひと山越えただけなのに、獣害対策の柵に囲まれた田畑が谷間に折り重なる。岩間山と上醍醐をむすぶハイカーのための案内板が要所要所にあるのがありがたい。
車道をたどって標高300メートルの峠にのぼると「清瀧宮」という広々とした神社がある。ここは東笠取だが、西笠取にも清瀧宮があった。上醍醐にも国宝の清瀧宮があった。清瀧権現は醍醐寺を守護する女神で、本地仏は准胝観音と如意輪観音という。
社殿の石垣の下に、なぜかかまどが3つもうけられている。修験の祭祀につかうのか、あるいは牛乳をひたすら煮つめて「蘇」をつくったのだろうか。
さわやかで涼しい気が満ちている。ウグイスの声があたたかい。
「寺は無住になると荒れるけど、神社は森そのものがご神体だから人がいなくても荒れない」
生態学者の宮脇昭の指摘は正しいなあと思う。彼の照葉樹林至上主義は全面的には賛成できないけど。
山奥だけど水の観音
神社から標高190メートルの東笠取集落にくだると棚田がみずみずしい。白いサギが舞い踊っている。
農家の土台や田畑の石垣が立派だ。
そうか、さっきの山中の石垣は、屋敷の跡なんだ。でもあんな急斜面では水田はできない。上醍醐寺の塔頭だったのだろうか。
棚田のわきの小道から山に入り、30分ほどで岩間山(443メートル)の奥宮神社にのぼった。ツツジが満開の展望台からは、琵琶湖や近江富士をのぞめる(トップ写真)。尾根を15分たどると、12番岩間山正法寺の境内だ。
奥宮神社には「御火焚祭焼納所」があった。昔から修験者がここで火をたいたのだ。
四国などの辺路修行では、海にいる常世の神様に喜んでもらうため山の上で火をたいた。琵琶湖を望む岩間山は、琵琶湖という「海」の神とつながりがあるのだろう。この寺の本尊は千手観音で、千手観音は水とかかわりがふかいとされている。
境内の風変わりな岩は白姫龍神(白山比咩)。女の人がこの神様をあがめると美女になるらしい。本堂わきの池は、「古池や 蛙飛び込む 水の音」と松尾芭蕉が詠んだ場所といわれている。
この寺を開いた泰澄が、落雷で人々をなやます雷をとらえると、雷は涙を流して許しを請うた。泰澄が雷を許すと、「この山は水がないから、水を出しましょう」と、雷が岩を爪でひっかいて水をだした。それが「岩間の清水」であり、岩間山の名のもとになった。境内には雷神が掘った「雷神爪掘湧泉」がある。本尊の千手観音は「雷除観音」とも呼ばれている。
ただ、白山を開いたことで有名な泰澄が、岩間山を開いたというのは人ちがいだと、五来重は指摘している。
境内には祠をそなえたカツラの巨樹がある。小さなハート型の葉がかわいい。
島根県雲南市吉田の菅谷(すがや)たたら山内(さんない)を思いだした。
「山内」は、たたら製鉄に従事する人々が住んだ集落だ。製鉄の炉をおさめる柿(こけら)葺きの「高殿」は、高さ約8.6メートル、縦横18.3メートルあり、1751年から鉄をつくってきた。そのわきにある樹齢200年、高さ約20メートルのカツラの木は、4月上旬の3日間だけ満開となり、鉄を溶かす炎のように真っ赤に染まるという。
直立する幹が仏像の一本づくりにつかわれたことから、カツラを霊木とする習慣が各地に残っている。この寺のカツラの巨木もそのひとつだ。
岩盤の上の観音さんは山岳信仰のなごり
山をくだり、瀬田川沿いに開けた田園を1時間ほど歩いて13番石山寺に着いた。
山門をくぐると参道の両側に小さな寺がならんでいる。その奥の境内の石段をのぼると、溶岩のような巨岩がニョキニョキと地面から生えている。天然記念物の硅灰石の奇岩が、石光山石山寺の名のもとになった。
例によって五来によると、石山寺は、東大寺(752年に大仏完成)を造営する際、湖北地方からはこばれた材木の余りでつくられた。
本尊の如意輪観音は硅灰石の岩盤の上にたっている。
山岳信仰や庶民信仰の寺でよくみられる形だ。山の中での修行では、石の上に本尊や厨子をおいておつとめをした。その名残だという。山伏のなかには仏像の首だけもって歩き、石や木の上に首をのせて拝んだ者がいたと五来は推測する。
長野県の下諏訪の神社の隣にある「万治の石仏」は、大きな自然石の上に仏像の頭がのっており、岡本太郎が「世界中歩いているが、こんなにおもしろいものは見たことがない」と評したが、五来によると、自然石の上に仏像の首をのせただけだという。
石山寺は国宝や重文が豊富で、紫式部が参籠して源氏物語を書いたとも伝えられている。
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