中米諸国のトルティーヤ巡り
せっかくトルティーヤをつくったから、中米諸国で撮影した写真を見返してみた。
メキシコやグアテマラ、とくに都市部のものはうすくて小さい。
石灰水でゆがいたトウモロコシをメタテと呼ばれる石臼のようなものですりつぶし、それを両手で器用に円盤状にして鉄板の上で焼く。
メタテで手作業ですりつぶすのが女性には大変だから、マヤのコミュニティにトウモロコシをすりつぶす機械を導入するという活動にかかわったことがあった。
1980年代初頭、グアテマラのマヤ先住民族のムラでは軍や自警団による虐殺が席巻していた。夫や父、弟を殺された女性たちが、彼らが埋められた「秘密墓地」を発掘する活動をしていた。その会合にだす昼食を台所でつくっている。2000年にチマルテナンゴ県サキタカ村で撮影した。
上の写真は1989年のエルサルバドル人の難民キャンプだ。エルサルバドルは内戦中で、彼女たちは国境を越えて隣国ホンジュラスに逃げてきていた。キャンプではフェミニズムを重視し、女性を家事労働から解放するため、こうした「工場」(共同の台所)でトルティーヤをつくっていた。エルサルバドルの田舎のトルティーヤは、グアテマラのものに比べるとだいぶ大きい。
ニカラグアの田舎トルティーヤも、分厚くて大きくて香ばしい。
1988年の国営コーヒー農場。当時は1979年に独裁政権をたおしたサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)が政権をにぎり、大地主の農園を接収した国営農場や協同農場があちこちにできていた。ここでも女性の家事負担を減らすためにトルティーヤは「工場」(共同台所)でつくられていた。
トルティーヤを山の農園にはこび、その上にフリホーレス(煮豆)やチーズをのせてコーヒー収穫のボランティアや労働者の昼食にしていた。
こちらは2017年6月、ニカラグアの大西洋岸のプエルトカベッサという町の市場で撮影したもの。これもけっこう大きい。
メキシコからグアテマラ、エルサルバドル、ニカラグアと南下すると、とくに田舎では大きなトルティーヤが増えるのだけど、さらに南下してコスタリカに入ると、小さいトルティーヤが中心になる↓。都市化したり、豊かになったりすると小さく薄くなるのだろうか。