![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/124813775/rectangle_large_type_2_b67b24c84912aeccf52c72b6b78a591a.jpeg?width=1200)
【自己紹介】28歳│24年から現地採用│インドネシア│ジャカルタ│転職3回
【簡単に】YUKIとはどんな人?
こんにちは、YUKIです。自己紹介します。
1995年大阪府堺市生まれ。2024年1月に東京の会社を退職し、同月よりインドネシアのジャカルタへ移住予定。インドネシアは計6回渡航しました(1週間~2か月間)。
キャリアは新卒で当時社員2名飲食企業の店舗運営(大阪/横浜)→メーカー営業(インドネシア・チカラン)→不動産管理として、シェアハウス管理とコミュニティ運営(東京)→インドネシア・ジャカルタで営業として24年1月から働き始めます。今に至るまでの半生はこんな感じです↓
半生と経歴
<小中高>
得意なことや熱中することもない、普通の公立の学校に通い、普通に楽しく青春する普通の人生でした。漠然と海外に興味があったので、話せるようになりたいと思い、外語語学部を志望し入学。
<大学>
外国語学部に入学したものの、その当時パスポートさえ持っていなかったことに焦っていた1年生の4月。長期かつ旅行以外で滞在したいという気持ちで、偶然見つけたインドネシアボランティアが金銭的に参加可能だったと理由で参加を決め、夏休みに渡航。
ボランティアは高校や大学の日本語クラスで会話のお手伝いをするような内容でした。
言語も文化もわからない若者だった自分に対して、訪れるたびに現地の方々にお世話になり、「何か恩返しがしたい」という思いで、日本のお土産をたくさん買って持ってきたり、興味のある友人を引き連れて一緒にボランティアに参加したり、学生5,60人の前で日本文化を紹介してみたり、色々やってるうちに気づいたら在学中に計4回インドネシアに渡航していました。
![](https://assets.st-note.com/img/1702798701368-dwl86o4hFB.jpg?width=1200)
同時に、日本語学科の現地大学生が英語と日本語と現地語を操る姿に感動したり、自分の住む環境よりもネットが繋がらなかったり、停電があったりとお世辞でも整っていると言えない環境にも関わらず、言語さえまともに話せない自分が情けなく感じていました。そこで3年生のタイミングで交換留学で大学と協定のあったアテネオデマニラ大学(フィリピン)に1年間滞在しました。
<23-25歳>
帰国後インターンしていた会社の繋がりで、新卒時は主にムスリム観光客向けにハラール料理を提供する飲食店に入社、まだまだコロナ前で増える東南アジアからのムスリム観光客、毎月数百人以上を店舗運営のスタッフとして接客したと思います。
2店舗目の出店で横浜へ転勤。日本人の方々がメインの客層となり、次第にインドネシアに行きたいという思いが強くなりました。ここで1度目の海外就職を決意し、学生時代から2年働いた飲食企業を退職しました。
![](https://assets.st-note.com/img/1702798763300-EPjdnz3rXY.jpg?width=1200)
2社目はエージェント経由で就職したメーカー営業(インドネシア・チカラン)。ここでは思うように働けずメンタルをやられてしまい、コロナも相まって1年も経たないうちに退職。インドネシアに骨をうずめる!と宣言してきたので、無駄なプライドが邪魔してやめるにやめられず、毎日辛く、かなり落ちてしまっていました。所属していた会社の先輩方、現地で出会った日本人・インドネシアの方々に助けられ今生きられていると思っています。感謝してもしきれません。
<26-28歳>
3社目は東京で国際交流がコンセプトのシェアハウスの運営・管理を行う会社にて約3年間勤務。物件管理・コミュニティの運営担当として500名規模のコミュニティ運営を行いました。日々起こる様々なトラブルの解決、新規ハウスの立ち上げや、コンセプトに沿うイベントの企画、運営チームのリーダーなど、さまざまな経験をさせてもらいました。身体を壊してあまり無理できなくなってしまったりもしましたが、ここでの経験は人間としても、社会人としても大きく成長できたと思っています。
![](https://assets.st-note.com/img/1702798831527-9VA9eqqeXm.jpg?width=1200)
<現在>
3度目の転職を決意し、24年1月からインドネシアのジャカルタで再び現地採用として就職。
【人生の転機】ターニングポイント
①インドネシアに出会い、人生の目的をつくれたこと
僕はやりたいことや継続できることがわからず、ずっと探し続けていた人生だと思います。熱中する趣味や好きなことやスポーツなど、特に長く続けていることが無く、もやもやしていた時期もあったのですが、インドネシアは19歳の頃に初めて訪れて以来、ボランティア・インターン・就職・旅行で9年間訪問し続けています。最初はそこまで意識していませんでしたが今はインドネシアで働くことや、インドネシアで自分の人生の時間を使いたいと思うようになり、そう思えたことで自分の中で人生の納得感が増し、エネルギーが湧いてくる感覚がしています。
![](https://assets.st-note.com/img/1702798989080-lghhrOEjMb.jpg?width=1200)
② コーチングのおかげで、自分の可能性を信じることができたこと
キャリアにおいてもですが、社会人になって既に約6年、自分は何が好きで、何がやりたくて、何のために生きるのかわからいまま生きていました。
また、新卒から職種業界がコロコロ変わっている現状に焦っている自分もいました。
そんな軸の無い中で過ごしている中キャリアの行き先が見えずぶつかってしまっているとき、コーチングを受講することになりました。
世間のコーチングの印象は「なんだか怪しいビジネス」という方のほうが多いように思います。実際僕も話すたびに「大丈夫?」みたいな反応を貰うことが多いです。実際受けるまで僕も半信半疑でした。
僕がコーチングに出会ったきっかけは「レッツゴーなぎら」さんという、コーチングを提供する会社で働くサラリーマンのYoutubeのvlog動画でした。もちろん会ったこともないですが、ゴリゴリに働いている姿を見ながら自分も頑張ろう!と思って見ていました。
そんな彼の動画を見ていた時に「セルフコーチングスクール (Reboost)」という2日間のプログラムの紹介があり、通常のコーチングセッションよりも安価で受けられるということだったので、経験くらいの気持ちで2023年の6月に受講しました。
その結果、本当はやりたいことや成りたい姿があるのに、何かしら理由をつけてそこから逃げている状態にいること、そして今まで歩んできた人生の中で思い描いていた、「自分にとっての本当に成りたい姿や状態に向かって行く」という、理想の向かう自分に許可を出した感覚になり、物事を決める軸のようななものができ、自己理解が深まりました。
そこから続けて受講したキャリアコーチングを通して、インドネシアでもう一度挑戦するという、現状の考え方の延長線上では起こらないような理想への決断をし、9月には転職を決意。10月、11月に転職活動を経て24年の1月からはインドネシアの日系の企業にて勤務開始予定です。コーチングを通して自分と向き合う中で、これまでの人生で行っていたことや考えていたことで、共通したパターンを理解することで自分のことをより深く知ることができたと思っています。このキャリアコーチングについてはここでは書ききらないので、別の記事として書いてみようと思います。
【最後に】2024年からインドネシアに。
以上となります。
まだまだ何も成しえていないですが、これからの人生今が1番若い時!という気持ちでジャカルタでも色んなことにチャレンジしていきたいと思います。
まずは送り出してくれた前職、雇って頂いた現職に感謝し、活躍できるようになります。そしてジャカルタでも国籍を問わずたくさんの方とお会いし、お話させていただきたいです。あと、サウナが好きなのでジャカルタのおすすめのサ活ができるスポットがあれば教えてください。笑
今後何かのご縁でお会いすることがありましたら、どうぞよろしくお願いいたします。
最後までご覧いただきありがとうございました。