74年前の8月1日深夜に、富山市で起こったことを悼んで
こんにちは。藤井だいすけです。久しぶりのnoteの更新となったことをお詫び申し上げます。
さて、本日8月1日は富山市民にとって特別な日で、毎年夜には花火大会が催されています。それは74年前の8月1日(正確には翌日の0時36分~2時27分)、富山市が大空襲の惨禍に見舞われ、約2700人の市民の命が奪われたことを忘れないための花火なんです。富山大空襲の面積傷痍率は実に99.5%とにおよび、地方都市の中でも最大級レベル。いまの富山市の繁栄は、そんな焦土の中から立ち上がった名もなき先人たちの功績があってこそ。その功績を称え、「富山市民感謝と誓いのつどい」が本日開催されました。
つどいの中で、富山大空襲の体験談が語られました。戦争体験を提供してくださったのは、私の支援者でもある同じ町内在住の大畑クニ子さん。とても、とても、胸がうたれる体験談でしたので、大畑さんご本人の許可のもと、こちらのnoteに掲載させていただきます。
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『忘れえぬ心のともしび』
大畑クニ子さん(富山市上飯野新町)
当時十二歳の私は、赤江川を挟んで東側綾田町、西側稲荷町という当時七丁目(現三丁目)に住んでいました。洗濯機の無い時代ですから朝早く起きて七~八米以下に流れている赤江川へ降りて洗濯に行ってたものです。
昭和二十年八月一日、富山市大空襲のあの美しい夜空に展開されたB29の襲撃の素晴らしい光景、まるで花火大会のように彩られたきれいさは、七十数年経つ今も鮮明に記憶に焼きついて離れません。
小学校六年で卒業、四月から旧制の女学校一年に進んだ今でいう新制中学一年の夏の大空襲、空襲警報で一旦防空壕に入ったが、直ぐに出るような指示が流れてきたので、当時、不二越は安泰と聞いていたことから、不二越病院(現在の県立中央病院)の北側に流れている赤江川の土手伝いから中央病院の北側の田畑へと逃げました。
当時、四十五才以上の男性招集制度で父は鹿児島の戦場の方に居て、母が私と弟三人を守ってくれていました。
その母が、当時三才の弟を背にかつぎ、当時八才の弟の手を引きながら、私は、頭に防空頭巾をかぶり、冬の綿布団を背中にかぶり当時十才の弟の手を引きながら、母を元気付けつつ、暗い中離れないように、逃げながら天空を見上げつつB29の動きに注意する。目は離されません。
アッ! 弾が落とされた! だったら慣性の法則から斜めのこちらの方向に逃げればいい!と慣性なんて落ち着いた考えをひき出せる余裕があったのか、と思う位、今でも不思議なのですが、弾が落とされる時の空の瞬間の光、輝き、美しさを親子で「あ!又落ちた!」と云いながら、そんな逃げ方をしていました。
県中央病院の近くの長江地区に、母の実家があり、そこへ一時、逃げ込みました。
明けて八月二日の朝、空襲は終って富山市内一面焼野原なのに、学校へ行かねばと、全焼された焼け跡の八人町から荒町へと、あの大通りを通った時、え!人が!生きた人ではない!道路の両サイドにまっ黒焦げた人体が、実に太い大木の黒炭の焼き殻と同じような状態、フワフワとした鱗状を呈して太陽に照りつけられてる人体が、ズラッと並び転がっていた様は、未だ脳裏から消えません。
八月九日には、母の兄が稲荷町の焼け跡地、元の処にバラックを建てて下さったので、戻り住むことが出来ました。
それまでは、母の妹の家におらしていただきましたが、僅かの期間でしたが、俗に云う嫁姑の苦いつらい思いで過ごし叔母の大変さに同情していました。
八月十五日、昭和天皇のあの「御云葉」をききましたが、当時十三才で両親に黙って金沢迄行って試験を受け予科練生に入り、「お国のために行きます。父上様・母上様には、生涯ご心配は、おかけしません」と挨拶した兄、その兄が特攻機を整備している時、B29の直撃を受けて戦死したとの不報を、当時、舞鶴港で海軍司令官をしていた母の弟が、八月二十九日に持ってきて下さったのです。
未だ父は戦地から家には戻っていない中でのこと、大声で泣き崩れる私達、その上、兄の命日が終戦の約一ヶ月前の七月十二日ときいて、一層悲しみが増すと同時に、もの凄い憤りがこみ上げてきました。
昭和天皇が早く戦いを止めるよう申されていたと聴き及んでいますが、それを真摯におこなっていただければ、富山の大空襲も、兄の戦死も無かったと、残念!残念!でなりません。私の同じ悲しみを味わわれた方も沢山いらっしゃることと思います。
太平洋戦争の悲劇は、絶対に!絶対に!あってはならない!
穏やかに心安らゆく希み満ちて楽しく過ごせますこと「平和」の日々を!いつも感じられる日々を願っています。
(※表記は、原文を尊重しております)
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体験談の後には、私の地元・富山市新庄北小学校の生徒さんによる献花も行われました。
今夜は、大畑さんの心の叫びをしっかりと受け止めて、富山の夜空に上がる鎮魂の花火を観覧したいと思います。