働き方…30年後のとやま、あなたはどっちを選ぶ?
藤井だいすけです。今回のテーマは「働き方」です。
A.会社の指示に従う働き方が望まれる
B.自分の強みを発揮する働き方が望まれる
皆さんならどちらを選択しますか? 私はBを選択しますが、指示があることで働きやすいと感じる方もいるでしょう。
世の中にはたくさんの職業・職種があります。どんな職業を選ぶのかは私たちの自由だったわけですが、皆さんはどのような経緯で現在の職業に辿り着きましたか? 「好き」「憧れ」「得意」「できそう」「割がいい」「継ぐことになって」「なんとなく」「仕方がなく」……前向きでも後ろ向きだろうといろんな理由があっていいのですが、せっかくその職業を選んだのなら、できれば“自分の強み”を活かして活躍し、周りから認められたいと思うのが人間の性ではないでしょうか。
では、“自分の強み”とは何でしょう。任天堂を世界有数のゲーム会社に育て上げた故・岩田前社長は「自分の労力の割に周りの人がすごくありがたがってくれたり、喜んでくれたりすることがあるじゃないですか。要するにね、『それがその人の得意な仕事なんだ』って話で。逆に、自分的にはすごい努力して、達成感もたっぷりあるのに、周りからは『はあ?』みたいに思われることもあって。それはね、本人が好きだったとしても、実は不得意なことかもしれないんですよ」と語っています。これは、自分自身が得意なこと(簡単にできること)よりも苦労してできたことを本人は評価してしまいがちである。つまり自分の強みは、本人よりも他人の方が見えている、ということを示しています。
私はパソコンが苦手でして、前の会社を退職してから頼る人がいなくなって独学でなんとか設定やリカバリーが一人でもできるようになりましたが、子供の頃から自作のPCを組み立てていた人には敵うわけがありません。それでも年齢を重ねるごとに理系職種(特に専門職)への憧れは強くなります。僕が文章を書いたり人前で話すことを僕自身は過小評価していて、自分が苦手な分野を極める人たちへ嫉妬に近い気持ちを抱いていたりします。人間というのは実に「ないものねだり」な生き物なのです。“自分の強み”とは「自分がさほど苦労せずともできることを、周囲が評価してくれる得意領域」。そう考えると、自分が評価されたい仕事よりも、他人が評価してくれる仕事を重視すべきなのです。みなさんもこれまでの仕事を振り返ってみてください。その仕事が「好き」かどうかではなく、周囲の評価を“自分の強み”と認識することで、自然体で活躍できる働き方が見えてくるかもしれません。
もうひとつ“自分の強み”を正しく認識することで、よい効能があります。それは「負けを素直に認められる」こと。趣味でもなんでもいいのですが、自分と同じ得意領域を持っている人と会話すると、その人がどれくらいのレベルなのか、ある程度すぐにわかったりしませんか? そんなとき「すごいですね!」と素直に認めることができるのも、得意領域ならでは。これが努力で勝ち取った領域だったら「なにくそ、自分だって」と対抗心や嫉妬心を燃やしてしまうかもしれません。それでは本当の得意領域とは言えません。仕事も人生も、勝ち続けることはできない。むしろ上手な負け方を習得することの方が、ずっとずっと大切です。
例えば高校野球の甲子園は、なぜあんなに多くの人を魅了するのでしょうか。全国で4000校以上が参加して、優勝するのはたった1校。つまりほとんどの高校球児は「負けること」を経験させられるのです。僕たちが感動するのは、その“負け方の潔さ”を球児の汗や涙や笑顔から読み取っているからではないでしょうか。「あいつのせいで負けた」「監督の采配が悪かった」という他責な高校球児も中にはいるのでしょうが、ほとんどの球児は互いに“自分の強み”を高めあい、認め合いながら純粋に戦っており、負けることの宿命を背負いながらも一球一球を全力で追っている。その姿に私たちは人生を重ねているのかもしれません。
素直に負けを認め、相手のすごさが理解でき、その差を埋めるために自然と頑張りたいと思うような得意領域――それが本当の“自分の強み”だとすれば、私にとっての強みはいったい何なのか。46歳になっても、私にはまだ見えていないように思えます。政治活動を通じて、皆さんから教わりたいと思っております(笑)
藤井だいすけ/富山県議会議員候補予定者(富山第一選挙区)。1973年(昭和48年)1月19日生まれ。46歳。
新庄幼稚園、新庄小学校、新庄中学校で育つ。富山中部高校、大阪大学経済学部を経て、95年に株式会社リクルートへ就職。
フリーマガジン『R25』等の編集長を歴任する。40歳を機に東京から富山に戻り、現在は新庄で高齢者福祉事業を行う
株式会社アポケアとやま専務取締役。社会福祉士の国家資格を持ち、新庄地域包括支援センターの所長も務める。
大学生の息子と小学生の娘の父。