本で印象に残ったところ「一口メモ」
『心を洗う』北尾吉孝著、経済界、2019.11.8発行。P151~153 読んだ本の中で印象的に残った箇所を記録することで次の研修に役立てられればと考える。
常に積善を志す 善行を施し、運気を強くする
結論から申し上げれば、こと善に対しては慌てて自己宣伝の如く売り込むのではなく、自然とそういう流れが出来、自然と伝わって行く中で善行をすべきである、というふうに理解したら良いのではないでしょうか。それは安岡先生が、人生を健康に生きて行く上で大事な三のこと、「心中常に喜神を含むこと」「心中絶えず感謝の念を含むこと」「常に陰徳を志すこと」として、陰徳を積むことを挙げておられます。
此の「常に陰徳を志す」とは、「絶えず人知れぬ善いことをする」ということであります。「俺は世のため人のために、之だけのことをしたんだ!」と言って回るのではなく、誰見ざる、聞かざるの中で、世に良いと思う事柄に対して一生懸命に取組むのです。安岡先生は御著書『運命を創る』の中で、「何か人知れず良心が満足するようなことを、大なり小なりやると、常に喜神を含む(どんなに苦しいことに遭っても、心のどこか奥の方に喜びを持つ)ことができます」と言われますが、正にその通りだと思います。
また、陰徳を積めば精神が溌溂としてくるだけでなく、良い運が巡ってきます。「情けは人の為ならず」という言葉があるように、人の為にすることが軈て自分に返ってくるのです。『易経』の「積善の家には必ず余慶有り。積不善の家には必ず余殃有り」という教えも同じことを言っています。善行を積み重ねた家にはその功徳により幸せが訪れ、不善を積み重ねた家にはその報いとして災難が齎されることを説いています。
※現代社会で善を積むとはどのようなことだろうかと改めて考えてみたのです。私は毎朝食事前に散歩を自宅から近くの公園まで約30分ほど歩くことにしています。その中でときどきゴミ袋を持って公園のゴミを拾っている方を見かけることがあります。同じ人が定期的にゴミ拾いをされている。この人は本当に陰徳だと思います。
一方で、公園の隅でタバコを吸ってそのままタバコの吸い殻をポイと捨てる人もいます。また、車から自分の使ったもののゴミを捨てる人を見かけたこともあります。善を積まなくても人に迷惑を掛けないという最低限のルールを守ることができない人がいるのです。どんなに立派な服装や車に乗っていても心がとても貧困に感じてしまいます。
人の心の有り様ですが社会のためになっているということを自覚しなくても人に迷惑を掛けないという昔からの日本人の心は消えかかっているように思うのです。多様化の世界の中で残すべき良い習慣はぜひ次の世代に静かに、目立つことなく引き継いでもらいたいものです。それができるのが日本人だと思います。