南郷伯爵

2024年10月31日。
南郷伯爵こと南郷和幸さんがお亡くなりになりました。

※追記
南郷さんのご遺骨は、大阪市天王寺区にある「一心寺」のお骨佛に納骨されているそうです。

南郷さんがかつて組んでいたコンビ「プラスチックゴーゴー」。
プラゴーと言えば、90年代の大阪のお笑いファンなら誰もが知った名前。

お亡くなりになった日の昼頃、スマホに着信がありました。
画面を見ると、同期の元芸人で現在は中野区議会議員の酒井たくや。
家が近く道端で会うことは珍しくないけど、電話は珍しい。

「珍しいやん。どうしたの?」
「あのな、今朝がた南郷さんが亡くなりはったんよ」
「は?え?」

あまりにも突然で。
一瞬にして頭がそのことでいっぱいになりました。

僕のYoutube「ペイジちゃんねる」に出てくださった時に話してくれましたが
南郷伯爵と本音トーク前編
南郷さんは事故で頚椎を損傷。
胸から下が麻痺していて、十数年ずっとベット上の生活。
首から上は元気で、記憶や滑舌はしっかりとしてましたが、他は肩と肘が動く程度で、指はこわばったままの状態。
自力では移動できずベッドから降りられず。
荻窪のワンルームで一人暮らし。
治療とリハビリを繰り返しつつ、朝と晩にヘルパーさんが来て、身の回りの世話をしてもらう生活だったようです。

亡くなった日の朝。
担当のヘルパーさんが訪れた時には、すでに容体が急変していたと聴きました。
元気そうに見えても、ずっと予断を許さないような状態だったのかもしれません。

ヘルパーさんは南郷さんと同世代の男性で、もう7年ほど担当してくださっていたそうで。
その方と連絡がとれて、いろいろと教えてくださいました。
音楽などの趣味も似ていたそうで、南郷さんとはいろんな話をして親近感を持っていたとおっしゃってました。
南郷さんもきっと友だちのように感じていたのではないでしょうか。

僕が言うこっちゃないのですが、そのヘルパーさんの存在が南郷さんを孤独にさせてなかったのではないかと思うとホッとしました。
いやほんと僕が言うこっちゃないんですけど。

今回はそのヘルパーさんが献身的に動いてくださり、南郷さんのご家族や、僕や他の友人たちに連絡をとってくださいました。
その方が担当じゃなければ、ひょっとしたら僕はまだ南郷さんの訃報を知らないままだったかもしれません。
本当に感謝しています。

南郷さんは大阪NSCの10期生。
僕が13期生として入った1994年は、大阪では「心斎橋筋2丁目劇場」のメンバーを中心とした若手お笑いブーム。
南郷さんと相方の蓮見さんのコンビ「プラスチックゴーゴー」は、特異な世界観のコントで人気を博し、劇場の中心メンバーでした。

僕もなんとか当時のコンビ「ミシマフジイ」で劇場レギュラーに転がり込みましたが、当時は今よりも上下関係の緊張感が強かった時代。
3期も上の先輩に話しかけるなんて、かなりのハードルの高さ。
そんなある日のライブのエンディング。
ふと南郷さんが「ハイスクール奇面組」の話をしていたので、漫画好きでジャンプっ子だった僕は黙っていられず、ライブ直後の舞台袖で
「南郷さん奇面組好きなんですか?僕もなんですよ!」
と興奮気味に話しかけたら
「奇面組は名作やね。今度話ししよう」
と言ってくださいました。

しかし、それが叶わないまま時は過ぎプラスチックゴーゴーは解散。
僕もコンビを解散して上京することに。

次に会ったのは1999年の12月末。
東京から大阪に帰る夜行バスの休憩のドライブインで、他のバスから出てきた南郷さんとばったり再会。
「南郷さんお久しぶりです!藤井です!」
「おお!どうしたん?」
「今、東京に住んでて大阪に帰るんですよ」
「え?ひょっとして『オールザッツ漫才』出るの?」
「いやいや、僕もう吉本やめてますから汗」
そんな会話を交わしたことを覚えています。

しかしその後はもう、道ですれ違うこともなく。

後にYoutubeを撮影させてもらった時に知ったのですが
上京してしばらくは東京吉本にいて、数年後には立ち上げ当時のソニー(SMA)に移籍。(後に休業)
いろんなお笑いライブに足を運んでいて、僕たち飛石連休も何度か見たとか。
意外と近いところにずっといらっしゃったのに、全然知りませんでした。
そうなんです。
そこまで深い仲ではなかったんです。

そんな2021年頃。
「辞めた芸人に話を聴こう」という企画動画を始めていた僕は、辞めていたり、いつの間にか名前を聞かなくなった芸人さんの名前をたまに検索していたのですが
何気なく「南郷伯爵」を検索してみたら
出てきたのは、ピンネタがアップされている南郷さんのYoutubeチャンネル
見れば間違いなく南郷さん。
でもこれは・・・介護ベッドの上?
指もあまり動かない感じがあって・・・どうしたんだろうか。
しかしコメント欄は閉じられていて、コンタクトはとれず。

そんなことが頭の片隅にありつつ時間は過ぎ
そこから3年経った今年2024年の7月。
急に南郷伯爵を名乗るXのアカウントからリプライをもらうようになり
確認したらまさかの御本人。
少しやりとりした後、僕のYouTubeへの出演を打診したら快諾してくれました。
どうやら僕がYoutubeで芸人や元芸人に話を聴いているのをたまたま見たようで
「藤井のこのチャンネルなら」
と思ってくださったそうです。

あれよあれよと撮影が決まり、南郷さんの住む荻窪のワンルームマンションへ。
再会を喜んでくださり、プラスチックゴーゴー時代のこと、解散の裏話、ピン芸人となり上京したこと、鬱病を患ったこと、そして頚椎を損傷した事故の話まで
いろいろ話してくださいました。

その中でもとても大事だったのは
「まだ芸人は辞めていない」
「やっといろいろ吹っ切れた」
「これからまた動き出す」
という、前向きな言葉をたくさんもらったこと。

「まだ目は死んでない」
なんて言い方をするとギャグっぽくなっちゃいますが
まさに南郷さんの目は、芸人としてもうひと花咲かせる未来を見据えているようでした。

大阪時代は雲の上の存在だった先輩ですが、この2ヶ月で突然ギュッと距離が縮まって。
そのYoutubeの撮影をした時、子供のお迎えがあって僕が帰り支度をしていると

「もう帰るの?せっかくゆっくり飲めると思ったのに」
「え?南郷さん、お酒飲んでええんですか?」
「飲めるよ!毎晩ヘルパーさんに決められた量の焼酎割りを用意してもらってるねん笑」
「そうなんですか?」
「缶チューハイなら好きなのは『氷結無糖レモン』やな」
「それ僕も大好きです!Amazonで箱買いしてます!」
「ほんまかいな」
「次持ってきますね」
「頼むで」

8月の中頃、南郷さんちに遊びに行きました。
約束通り氷結無糖レモンを、2本ずつ飲むように4本持って。
これも録画しときゃ良かったと思うような貴重な話から、本当にくだらない下世話な話まで。
あっという間に2本飲み終わりましたが

「もうちょい飲みたいな。ヘルパーさんが来るまでまだ時間あるからどう?」
「飲みましょうよ!」
「その棚の引き出しにデビッドカードが入ってるから、それで酒とツマミ買ってきてくれる?」
「いやいや、僕が出しますから」
「ええって!ここは先輩づらさせてくれよ」
「分かりました笑」

近くのコンビニに買い出しに行き、もう1本ずつ飲んで、2人ともベロベロ。笑

酔っ払った南郷さんが帰り際にボソッと言ってくれました。
「藤井は『また来る』言うてほんまに来てくれたな。お前は信用できるな」
「いや、約束してんから来ますよ!ほんでまた来ますし!」
「来てくれよ笑」
「次はカンカン(TOKYO COOL)」あたり連れてきますわ!」
(カンカンと南郷さんはソニーお笑い班の立ち上げ当初の仲間)
「カンカン会いたいな。頼むわ」

まさかそれが最後の会話になるとは、思ってもみませんでした。

カンカンにその話を伝えると、本人も行きたいとノリノリでしたが
その約束は果たせないままになってしまいました。

10月31日に訃報を聴き、11月2日。
ヘルパーさんから、南郷様のお母様と妹さん夫婦が上京していることと
翌日の11月3日の朝に東京の斎場で火葬し、そのままお骨と遺品と共に大阪に帰ることを教えてもらいました。
僕はヘルパーさんを介してご家族にお願いしてもらい、許可をいただいて一緒に見届けさせていただきました。

まだご家族からの発表前だったので大っぴらには呼びかけられませんでしたが
訃報を知るそれぞれが連絡を回せる範囲で呼びかけて、南郷さんとゆかりのある何人かが集まることができました。

秋晴れの良い天気でした。
帰りに写真を撮りました。
中野区議会議員の酒井たくや、今は一般人の六車くん、元「ウラカン・ラナ」で今は「酒場ナビ」というサイトをやっているイカダツと僕の4人。
奇しくもみんなNSCの13期生。

他にも、南郷さんのかつてのバイト仲間や友人も。
南郷さんのご家族と友人たちから、僕の知らない南郷さんの話が聴けて本当に良かったです。
優しい人でした。そして真っ直ぐで純粋な人でした。

お母様と妹さんは、家族だけで送ることになると思っていたそうで。
体が不自由になり、お母様は大阪に帰ることを勧めたそうですが
南郷さんは東京に残ることを選んだそうです。

そんな東京での生活の様子はあまり伺い知ることができなかったとおっしゃっていたので
少なからず友人が集まったことを喜んでくださいました。
「ひょっとしたら行かない方がいいのかも」
なんて思っていたのですが、行って本当に良かったです。

これから先輩後輩として、烏滸がましくも友人としてお付き合いが続くと思っていた矢先に。
「もっと会っておけばよかった」
こんな後悔ばっかりしてる自分が嫌になります。

ひょっとしたら、ひょっとしたらですけど。
何か「虫の知らせ」みたいなものがあって
それが僕と南郷さんを引き合わせて
最後に南郷さんの言葉を記録させてくれたのかもしれません。
そんなことより生きてて欲しかったですよ南郷さん。

南郷さん、長いリハビリと治療の生活お疲れ様でした。
今はゆっくりと休んでください。
南郷さんが、あそこの雰囲気が大好きだと言っていた高円寺駅北口のロータリー。
近いうち氷結無糖レモン持って飲みに行きますね。

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