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字が読めない私と、将太の寿司と豚のキンタマの話

私は字が読めない

ここで言う「読めない」は文字が認識出来ないとかじゃなく、何かを解説している文章が読めない。(それは文字が認識出来ないのと同じでは?)

物語は読めるが教科書だったり、指南書だったりが読めない。解説動画も観れないから、おそらく「勉強」が苦手なんだろう。「学ぶ」という姿勢が欠落している。

本が読めないのは仕方ないとして(仕方なくはない)、もっと簡単な、例えばツイッターなどに漫画の描き方だったり簡単なデッサン(人物の身体の描き方、手の描き方、とか)の方法を紹介してる人がいるけど、それを読んでも全く身についていない。料理で言ったらお手軽レシピとかそのレベルの話すら身につけられないのだ。

「将太の寿司」の鳳寿司の親方も言っていたぞ

しかし自分で身につけた物、自分で発見した物は大事にする傾向がある。

漫画「将太の寿司」でも親方が『将太よ、教えられて覚えるのではなく、試行錯誤して己で発見した方が身につくのじゃ』みたいなニュアンスのことを最初の方で言っていた。

初めて将太の寿司を読んだ時、ラーメン屋とかに置いてある途中の巻から読みはじめたから(なんでこの店の先輩たちは将太に何も教えないんだ…!育成コスパ悪すぎだろ…!)と思った物だ。一晩中店の設備を使って試行錯誤する将太…食材費はもちろん、ガス代も電気代もバカにならないぞ…と。でも、それがいいのだ(当時は読んでいなかった1巻に描いてあった)。自分で発見したことは身につくのだ。

ただ、それだとコスパが悪い。知りたいことがあったら指南書をパッと読んで理解できる人の方が、自己流で答えを模索するより時間的にも圧倒的に有利だ。先輩に「握り方教えてくださいよ〜」って言える方が早く上達する。

さりげなくふんわり指南してほしい

そんな将太と同じくコスパの悪いことしかできない(その上将太と違い模索する努力もしない)私が何かを学び身につけるということは並大抵のことではない。どうしたらいいのか。一つの結論にたどり着いた。

「さりげなくふんわり指南してほしい」のだ。

「手取り足取り教えます!」「全て解説します!」「これを読めばまるわかり!」というオーラ・雰囲気を出している物はそれだけで脳が拒絶し吐き気を催す。なのでその感じをやめて、できればまず全然違う話をしてほしい。

チャレンジ一年生の「楽しく学習!」の上位互換版。「気づいたら学習してた」だ。

豚のキンタマの話をしてくれ

「デッサンの描き方」という本で例えれば、文章の冒頭は「デッサンというのは光とその陰影が〜」から始まるのではなく、「豚のキンタマって見たことある?」から始めてほしい。

別のことで強烈に興味を引かせてほしいのだ。そして豚のキンタマの話を読んでいく合間に、さりげなくデッサンの知識を入れてほしい。「豚のちんちんってぐるぐる捻れてるんだよ、黄金比の回転みたいだね!ちなみに黄金比の回転っていうのは〜…」といった感じで。こうすることで、怠惰な私でもなんとかデッサンの知識を学ぶことができると思う。

デッサンの描き方の本を買うやつはデッサンを学ぼうとしていると思うなよ。豚のキンタマの話を読みたくてデッサンの本買ってんだ!!(??)

他のことも知れていいよね

世の中の教科書が豚のキンタマみたいなことを取り扱ってくれたら、知識の幅も広がるし、本来知りたかった知識も身について一石二鳥。コスパもよくて一石三鳥だ。

私のためにそういった「さりげなくふんわり指南」が増えてほしいと切に願う。

そしたら将太の寿司も「将太、豚のキンタマはこんなに大きいから射精量がすげぇんだぜ!煮凝りみてぇにプルプルしてらぁ!ちなみに煮凝りってのはよ…」みたいになってたんだろうなぁ。

終わり

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