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子育てがわからない・・・。息子現在8歳。

明日からの旅行に備えて最もやるべきこと、
それは『体力回復』!!
・・・初老ですので。

体力回復のために私が今できるのは、
『寝るべき時間にきちんと寝る』なのですが、かなわず。

そもそも昨夜はクーラーをつけていてもなんだか寝苦しかったです。
いつも家族3人で川の字になって寝ております。
真ん中で寝る8歳息子はいつも父の方に転がっていくのに、
(おそらくクーラーの冷風に近づいている)
昨夜はめずらしく私の方に。
90度の角度で私に足を向けて。
思いっきり蹴られまくりました。

蹴られることに身に覚えのある私は蹴られるがままにされ、
身に覚えのある分、物思いに耽り、
目と頭がばっちり覚めてしまいました。

『身に覚え』それは
『明日からのサマースクールに息子は本当は行きたくないんじゃないか』
ということ。

「行きたくない」「イヤ」とは言わない8歳息子。
でもこのところ毎晩毎朝、少しでも父と遊ぼうと必死。
いつも以上にめちゃくちゃ焦って遊ぼうとしている。
父と離れるのもイヤだし、親元離れるのも不安でしょうがないんじゃないだろうか。

・・・ごめん。
私が勝手に決め過ぎたのかな。
意向は確かめたつもりなのだけど。
このサマースクールが息子の傷になってしまったらどうしよう。


子育てが、どうやったらいいのかわからないんです。
8年やってもますますわかりません。

自分のことであるならば、受け入れられる。
自分が選んだ選択肢の先に今があるのだから、
失敗しても自分で選んだことだって思える。
でも子育てって、何だかんで『他人』の人生だ。
母の私が選択したことが息子の人生を変えてしまうことだってある。

『理想の子育て』ってなんだろう、と考えてみた。
子どもが育っていく様を例えるならば、きっと樹だ。
根を張り幹を太くし、枝を伸ばし葉を繁らせる。
親はそれを傍で見守る。
それが私の理想かな。

8歳息子は多分広葉樹なのだと私は思っている。
でも彼は「針葉樹になりたい」と言う。
学校の教育は等間隔で植えられ、育つスピードを調整される植林の針葉樹だ。
私は息子の広葉樹が好きで、そのまま育ってほしいと願う。
けれど息子が「針葉樹になりたい」と言うので、
「針葉樹はこういう枝の形なんだよ」と宿題を促し、
「植林された樹はこうやって栄養を採るんだよ」とリコーダーの練習をさせる。
種類の違う樹を目指すのは、私にはとても不本意で、やりたくない。
なにやってるんだろ、と思う。

だから反動なのか息子があまりにも学校が居心地悪そうにしてる時、
「こういう広葉樹もあるんだよ」ってフリースクールの見学に行ったり、
今回みたいにサマースクールに参加させたいってなるのかもしれない。

全然『傍で見守って』ない。
ヘンな栄養をかけまくっているのかもしれない。

私が広葉樹であることを願っているだけで、
息子は本当に針葉樹なのかもしれない。

針葉樹でも広葉樹でも、
水や日光、栄養など基本的に必要なものは変わらないはずだから、
そこだけ手を抜かずにあとはほおっておかなければいけないのかもね・・・

というようなことを夜中に延々と考えて眠れなかった。

(最初に蹴られた時点ですぐ息子を正位置に戻せば良かった・・・)

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