大石ひろゆきのプロフィール①
はじめまして。
私は、富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役 大石浩之です。私のnoteをご訪問いただき、ありがとうございます。私のnoteをご訪問いただき、ありがとうございます。しかし、アフターコロナを迎えようとしている今、noteに私の考え方や人となり、会社のことをまとめていく作業を、立ち止まって、記述していこうと思いました。どうかご興味のある方は、中を読み進めてくださいませ。
1.誕生から幼少期、そして成年へ
昭和54(1979)年8月16日午後2時だったと聞いています。父親は、神経内科を専門とする医師。母親は、薬剤師。千葉県鎌ケ谷市で開業していた父の出身病院である虎の門病院で生まれました。
幼少期は、千葉県鎌ケ谷市で過ごし、小学校に入学する1年前に静岡県磐田市(旧磐田郡豊田町)に移住しました。以下は履歴書に書く学歴を列挙します。
昭和61年4月 静岡県磐田郡豊田町立豊田東小学校 入学
平成4年3月 静岡県磐田郡豊田町立豊田東小学校 卒業
平成4月4月 静岡県磐田郡豊田町立豊田中学校 入学
平成7月3月 静岡県磐田郡豊田町立豊田中学校 卒業
平成7月4日 静岡県立磐田南高等学校普通科 入学
平成10年3月 静岡県立磐田南高等学校普通科 卒業
平成10年4月 東進ハイスクール(大阪校)で浪人生活をおくる
平成11月4月 関西学院大学商学部 入学
平成15年3月 関西学院大学商学部 卒業
2.関西地方に居住して得られたもの
高校までを静岡県磐田市(旧磐田郡豊田町)で過ごし、その後、大阪・兵庫で過ごしました。大阪・兵庫で過ごしたのは、当時付き合っていた彼女を追っかけて行ったからです。今となっては、選択肢になかった大阪・兵庫で過ごすことができたことはいい思い出です。人間の幅を広げ、考え方を柔軟にする、とてもよかったと思っています。
3.サッカーに出会って得られたもの
遡って小学校1年生から高校2年生冬までは、サッカーに打ち込んでいました。たくさんの成功体験も積みましたが、一方で心配や壁にもぶつかりました。今日はこのくらいにしておきますが、サッカーに出会ったことで、人生が豊かになったのは事実です。学生時代に関西に行ったことと一緒です。
4.流れに身を任せる、抗わない
両方に共通することは、計画的ではなく、縁や出会いに身を任せ、やっちゃってきました。そこにやらない理由はなかったのです。やってみてダメだったらとも思わず、まずやってみました。ただそれだけです。私自身の人生は常に計画的ではなく、行き当たりばっかり感は否めませんが、あえて人生に抗ってもしょうがなくて、流れてきましたし、これからも流されていきたいと思います。案外自分で選択してきたことは失敗が多かったりします。
5.noteを始めるにあたっての意気込み
人生の折り返し地点40歳を超え、2020年は41歳になります。これを機会に、noteをはじめることもできたのも、自分の主体ではなく、なんとなくであったりします。この記事が誰かに届いて、例えば弊社への入社を検討されている方、弊社から不動産の購入・売却をされようとされている方、そして弊社介護施設への入居を検討されている方の判断の一助になることを期待しています。どうか末永くお付き合いいただけますように、お願い申し上げます。