よくわからんけどそんなに高校野球って面白い?

台風が来ている。しかし外はそんなに激しく雨は降っていない。
降っている雨粒こそ大ぶりではあるがその量自体はそんなに多くないし、雲も非常に薄く感じる。しかしラジオの甲子園中継で展開関係なく差し込まれる気象情報では様々な地域にいろんな警報が発令されていることから、今日本には台風が来ているのだ、という感覚がついて回る。
そしてその感覚というのは多分僕以外の人も同じで、いくら大雨ではないとは言え、台風の中外に出ようという人はあまりいない。しかも今日はお盆だから帰省している人も多いだろう。店に客はほとんど来ず、あまりにも暇である。

こうやって聴いてみると、ラジオのスポーツ中継というものはとても面白い。まず映像無しで今何が起きているのかを伝えないといけないから、アナウンサーはとても早口だ。これだけ早口で、しかも落ち着いた場面では解説と話をするわけだから、一つ前の座席だってよくわかんないというのが正直なところである(まあ、こうやって文章書きながら聞いてないで集中しろって話だが)。

あと、現場の熱狂を伝えるために録音環境に防音とか全くされてないのもいい。アナウンサーのマイクにブラスバンドの演奏、金属バットの快音、球場のざわめきや選手のあげる雄叫びまで全部が入っている。一つマイクにここまで音が拾われるってすごくないですか?どんだけ音でかいんだって思うし、やっぱりそういうのを生で体験してみるのもいいよなあ、とか思ったりする。

休憩終わって売り場をちょっと巡回している間に少し試合が進んでいる。小インシデントをサッと終わらせてバックヤードにひっこみ、バイトに売り場を任せて正社員の俺は堂々とサボる。いつにもまして今日は客が少ない。二年と八ヶ月ここで働いているけれど、一日の最低客数記録を塗り替えるかもしれない。

閑話休題。敦賀気比が逆転!
ところで甲子園の応援歌っていうのは永遠にアップデートされないのだろうか。どこの高校も学園天国ばっかり吹いてないか?たまに挟まれるロッキーやウィーアーも、こすられ過ぎではないのか。少しは最近のヒットチャートをやろうっていう高校はないのか。
しかしここまで毎夏毎夏同じ曲が演奏されているのを見ると、夏の風物詩としてあのメロディーが新たな文脈を得ているのかもしれない、と思う。僕も学園天国の歌詞は知っているけれど、誰が歌っていつ流行った曲なのかはもう知らない。本来の曲の持つコンテクストを超越して新たな姿を得ているというのは面白い。いずれウナギが絶滅した時に、うなぎのタレが、焼いたウナギにかけられていたものだという事実を忘れられても作られ続けそう、みたいな感じ。

曲の話をしていたら市船ソウルが流れ出したけれど、あえなくダブルプレーで五回裏が終了。再逆転のチャンスを逃した形になったけれど、かなり面白い試合展開ではないですか?

どこの高校も、というと難しいけれど、せめて甲子園に行く可能性が高い高校くらいは市立船橋みたいにオリジナルソングをもったらいいのでは? と思ったけれど、そんなことを言ってると吹奏楽部からお怒りの声があがりそうである。なんで私らがクソ暑い中興味のない野球の応援に駆り出されないといけないんだ、と。
いやしかし、そんな野球強豪校の吹奏楽部に入るような人はそんなこと織り込み済みで入部するのだろうか。だとしたら文句もそんなに出ないだろうし、もう野球部の応援部みたいな名前に変えて、ドラマチックな物語を作って寄付でも募ったら学校経営はウハウハになるんではないだろうか。
察した方もいるかもだが、僕はあまり高校野球ってのがあんまり好きじゃない。現在試合の推移をラジオで聞いているけれど、それは試合展開が面白いからエンタメとして聞いているのであって僕が嫌いなのは商業化している高校野球というものである。
大人にちやほやされて自分たちがそれに値する人間だと思ってヘラヘラしている高校生も嫌いだし、騙されたって仕方のない高校生をちゃんと騙して金儲けしている大人も嫌いである。

うとうとしていたら(仮にも給料が発生しているのに)いつの間にか敦賀気比が8−3と大量リードしておる。
なんというか、高校野球だけが優遇されてちやほやされて悔しい!みたいな話をしているのではない。そういう単純な嫉妬のようなものではないのだ。僕はさっき嫌いという言葉を使ったが、多分これは嫌いというよりも、怖いという感情のほうが近いのではないかと思う。
だいたいなんで高校野球だけがここまで盛り上がるのかが謎なのだ。プロが盛り上がっているスポーツだからと言われてもじゃあなんで高校サッカーはここまで盛り上がんないんだよって話だし、どのスポーツにも等しく面白さがあり、そしてどの高校生にも等しく青春があるのに何故高校野球だけがこんなにも多くの人の心に刺さるのかが謎だから怖いのだ。


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