あちら側の世界の人
大学の同期がフリーで写真家を始めたらしい。
学生の頃から若干の思想の強さも感じていたが、自由奔放な人間だった。
会社の枠に収まる人間ではなかったのだろう。
彼女の活躍を期待したいと思う…
ところだったのだが、ある時彼女のビジネス用アカウントを見つけた。
同じコミュニティに属していたが故にインスタのサジェストに出てきたのだ。
恐るべしMETA社。
そして、そのサジェストを見ていると彼女の名前がやたら長いことに気づく。
ちょっとばかりの香ばしさを嗅ぎ取り、これ以上はやめておこうとも考えたのだが、怖いもの見たさからついつい覗いてしまった。
そして、そこにあった自己紹介は、情報商材屋さながらのものだった。
粒度の揃っていない地名。これでもかと言わんばかりのスラッシュの連打。
僕は心の中で「あぁ…。」と声をあげてしまった。
彼女もあちらの世界の扉を開いてしまったのかとなんとも言えない気持ちになった。
とはいえ、彼女のプロフィール欄と作品は別の話だ。
作品に罪はない。
どんな人が彼女に頼んだのかと思い、投稿を見ていると一つ気になる投稿があった。
写っていたのは大学の一つ上の先輩だ。
同じサークルに所属していたから卒業後も何かしら繋がりはあったのだろう。
写真に添えられた文章には、これが彼女のプロフィール画像として撮られたものだと説明がされていた。
そして、その文章に先輩のアカウントがリンクされていた。
ここでやめておけば良かったのだが、思わずタップしてしまう。
するとどうなったか。
察しのいい方はもうお気づきだろうが、またしても情報商材屋のようなアカウントが広がった。
どちらかといえば、情報商材屋に騙された人という印象を与えかねない写真が並んでいた。
謎のスクールに通い、そのスクール生と一緒に撮った意識の高そうな写真ばかりだった。
先輩はwebデザイナーとして転身していて、その商業用アカウントのためにプロフィール画像を例の同期に撮ってもらっていたのである。
「そうか、先輩もあちら側へ行ったのか。」
もはや虚無感のようなものが訪れた。
ここまで情報商材屋扱いをしてきてしまったが、両名とも自分の写真を使っていた。
それだけでも情報商材屋とは一線を画している。と思いたい。
彼女たちはフリーランスになったのだ。
そんな彼女たちに思いを馳せている間に、ふとあることが頭をよぎる。
「もしかして僕はフリーランスにはなれないのではないか。」
それは技術の問題ではなく、僕自身の気質の問題である。
もちろんフリーランスになれる技を持っていないのだが、それ以上に精神面での問題が大きいように思えた。
ネット上のアフィリエイターしかり、情報商材屋や彼女たちしかり、フリーランスはある程度パターン化されている。
名のない個人が見つけてもらえるようにあの手この手を惜しげもなく使う。
その結果があの「情報商材屋のアカウント」になっていく。
一方でそれは、フリーランスとして生き残るために必要不可欠な行動なのであろう。
それなのに、僕はそれが非常に恥ずかしい行為に思える。
言葉で表すのは難しく、なんか嫌なのである。
これを受け入れられない僕は、フリーランスには向いていないということになる。
こんな悲しい事実にこのタイミングで気づきたくなかった。
しかし、これが現実である。
現実はいつもつらく、厳しい。
フリーランスにはなれそうにない。
といっても結局はあのタイプのフリーランスにならなければいいだけの話である。
それどころか、そもそもフリーランスとして働く必要がないレベルの資産を築けばいいだけの話である。
そうやっていつもの日常に戻っていくのだ。
また今日も僕は憂鬱に通勤をする。
では、また。