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窮屈な社会人
社会人生活を続けておおよそ5年を迎えようとしているわけだが、あまりにも窮屈である。
暮らしを営むために働くのではなく、働くために暮らしを営んでいる。
仕事のために朝早く起きて、夜早く寝て、住む場所も限られて、そこに自由はほとんどない。
そして、自由を差し出しているのにその対価は少ない。
昇給したとしてもその額は微々たるもので、それ以上の責任を負わされることになる。
社会人は会社に縛られている。
そしてそれが是とされている。
そもそもの話、文字面だけで考えれば社会人は社会に属している全ての人であるはずなのに、社会人というと会社員の話になる。
裏を返せば、社会人として認められるのは会社員だけだということになる。
会社員でなければ社会人ではないのだ。
世間の認識がより社会人を窮屈にさせる。
よく、30代後半から40代は脂の乗った時期と言われる。
本当にそうだろうか?
30代後半になれば、昔のスポーツ選手はほとんど引退していた。
つまりはそれだけ身体的には衰えているということになる。
それなのに、ゴールずらしのせいで30〜40代はおろか最近では50代ですら若いとされる。
そんなわけがない。
昔ならとっくに死んでいる。
都合の良いように踊らされているだけである。
僕は早く会社を辞めたい。
この窮屈な生活から早く脱却したい。
そう思えば思うほど、目の前の仕事に取り掛からなければならない。
親の七光りを預かれない僕には、労働を成して財を築くしかない。
皮肉な話である。
嫌いな社会人と決別するために熱心に社会人をしなければならない。
悲しきかなこれが現実だ。
社会人生活。
まさしく懲役40年。
今や40年では済まない。
その刑期を短くするために模範囚としていなければならない。
勤勉な社会人とはそういうものだ。
今のうちは大人しく窮屈な社会人に身を委ねることしか出来ないが、それを受け入れようと思う。
いつしか自由という名のシャバに到達するために。
では、また。
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