雲の中のマンゴー |#5 中国経営と程杏
この物語は、自動車部品メーカーを営む中小企業の若き経営者「沢村 登」が様々な問題に直面しながら、企業グループの新しい未来づくりを模索し新事業に挑戦する「実話を軸にしたフィクション」ストーリーである。
Novel model Mango Kawamura
Author Toshikazu Goto
第5話 「第1章~その4~」
(株)サワムラ中国協力工場は1995年創業、登が社長になって5年がたった2016年頃には300人を超す大所帯になっていた。ただし順調に規模拡大してきたわけではない。
遡ること2005年前後。その当時、反日感情の高まりから現地に進出している日系企業が抗議のターゲットとなり、その反日感情から不買運動や製品ボイコットが騒がれ、労働条件を巡る数千人以上の大規模なストライキが発生したメーカーもあった。当社の中国協力工場においても、平均賃金の上昇が経営を苦しめる要因になっていた。
そして2010年、尖閣諸島での中国漁船拿捕により次第に中国人の反日感情が激化。更なる賃上げ要求、ストライキが頻繁に起こるようになり、このままでは中国で事業はやっていけなくなるという状況に追い込まれていた。
このような背景もあり、日本国内での事業を再構築しなければと真剣に考えるようになった。迷走し解決策を探す日々が続き、一縷の望みをかけてビジネススクールにも通いMBAも取得した。そこから徐々にあるべき姿をイメージできるようになり、新規事業を創造するという考えに至っていた。
既存事業がうまく行かない中では新規事業をやっても、社員や関係各者に認めてもらえないだろうとの思もあり、とにかく中国工場へ通い従業員のと良好な関係改善に努めた。
そんなある時、ひとりの中国人女性から相談を受けることとなる。それが程杏だった。
彼女曰く、中国において人事労務管理を成功させるためには、人材を真に尊重し、適切な教育、能力開発への支援を通じて個々の人材の職務上の成長を促し、その価値を潜在能力一杯まで高め、公平公正に処遇し、人材の満足感、モチベーション、仕事へのコミットメントを最大に導いていく必要がある。特に日本企業の現地化における経営スタイルについて(株)サワムラの中国戦略を明確にし、その戦略を従業員に理解させ認識を共有する姿勢が重要であることを指摘された。
非常に的確な指摘であり、ビジネススクールで学んでいなければ、むしろ理解できずに疎んじてしまった可能性もある。
彼女の指摘を受けてから、少しずつ中国協力工場の労働問題に取り組み、一緒に社内改善を進めた。当初は1年で何とかなるだろうと思っていたが、紆余曲折を繰り返し、5年以上かかってようやく良い方向に向かってきたところであった。
中国協力工場の従業員と(株)サワムラの間に入り、事業が円滑になるよう尽力してくれた彼女は気さくな性格もあり、従業員からも経営層からも信頼され愛されている。彼女がマネージャーに昇格することにも誰も異論はなかった。
しかしそのマネージャーの程杏が、パソコン部品メーカーに勤める夫の海外転勤で日本に行かなくてはならないようなのだ。
「程さん、会長から聞いたよ。日本に転勤なんだって。」
「社ッ長、そうなんだよ。わだし、今の仕事やめたくない。だけど家族大事ね。」
「程さん、そう分かっているよ。あなたの考えは正しい。でも寂しいなあ。」
「そうか、わだしも寂しいけど、日本に行ったらミユにいつでも会えるぞ。」
「そうだね、ミユは喜ぶだろうなあ。今日、それをミユに直接話してあげてくれないか。」
「わかった。」
程杏は親指を立ててイイねポーズをした。
#6に続く。