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「配偶者を信用しない」と決める

夫は言うことがコロコロ変わる人なのですが、それを「俺の特徴」みたいに言っていました。人間なのだから考えが変わることはあるし、好みが変わることもあるし、主張も変わることがあると。過去に囚われずにアップデートできてるのだから、良いことだと。

家族としてやれている間は「そういう考え方もあるのね」くらいに思い、”理解も共感もしないけれど批判もしない”スタンスでいました。

別にいいんですよ、前に好きだと言っていたナポリタンがいきなり嫌いになっていようが、前に好んで聴いていた音楽が今嫌いになっていようが。それは「あ、そうなんだ」で済むので。

でも、夫婦関係や家族関係は違う。
「関係」には継続性が重要だし、続けていくことによって信頼関係が成り立つものだから、そんなにコロコロ態度や発言を変えられると困るわけです。


夫婦関係にヒビが入ってから、夫は、今後の夫婦関係とか、子どもたちとの関わりとか、そういう重要な領域でも、「たった一言で俺のことを判断するな」「前はそう思った、今は違う」などと言うようになりました。

夫にしてみれば、自分の考えていることをそのまま表に出しただけなのでしょうが、こちらからしてみると「話が違う」となります。発達障害の可能性が高い夫の特性を考慮して、夫の主張を一度受け止めた上で、こちらの認識を共有しても「俺は変われない、変わらない、状況を変えたいならそっちが変われ」の一点張りで、当時は本当に困りました。

だってそれでは、夫の発言を1mmも信用できませんから。何を言われても「本当にそうなの?」と疑わなければいけなくなるし、決め事をしたくても「気が変わったらどうせ白紙になるんだろうな…」と想定せざるを得なくなる。そして夫は、それによって夫婦の信頼関係が崩れていくことを全く理解していない。

そういえば、社会福祉士さんに相談に行っていた時に、「夫さんには、おそらくアイデンティティがないんです」と言われて妙に納得したことがありました。多くの人には10代後半くらいで形成されていくアイデンティティが、夫のようなタイプの人には「ない」のだと。そのタイプの人は、すべての事象に対して”反応的な言動”をするので、一貫性がない(一貫した態度を取れない)し、自分なりの判断基準がないから、損得勘定に偏りがちになると言われました。

夫は家族関係ですら損得勘定だったんですよね。それで成り立つ家族もあるとは思うけれど、私はそれが受け入れられなかったし、許せなかった。

一度生涯を誓った以上、「配偶者を信用しない」ということに、とても葛藤がありました。信じるも信じないも、決めるのは自分。夫を信じないことは、私の方から夫婦関係を放棄することだと思ったし、自分に対しても不誠実だと思いました。

でも、信用できないもんは、できないんです。
「もしかしたら言うことが変わるかもしれない、もしかしたら状況が良くなるかもしれない、もう少しだけ信じてみよう」の期間がだいぶ長かったですが、小さなことから大きなことまで何度も何度も裏切られ、絶望するだけでした。

信用するから、絶望するんです。
絶望するから、辛いんです。
だったら信用しなきゃいい。

そういう思いに至り、「配偶者を信用しない」ことを自分に許可してから、だいぶ気持ちが楽になりました。

夫は、相手によって言動が全然違います。反応的な人なので。
だから、私が信用していないのは、私と対峙する時の夫。
社会的なモラル違反はしないと思ってるし、社会人としてはちゃんとやっている(そういう言動を取っている)のだろうと思います。

「外でできることがなぜ家ではできないのか」と思ったこともありますが、これは私を見下しているから仕方ないんですよね。子どもたちのことも見下してると思う。夫が、私や子どもたちを対等に見ることはないので、自分と子どもたちを守ろうと思ったら、夫から離れるしかありませんでした。


この気持ちになったのが、4年くらい前の話。
そこから緻密な計画を練って、3年ほど前に別居までこぎつけました。

今は子どもたちと穏やかに暮らしていますが、当時の絶望や葛藤は忘れないようにしようと思っています。忘れずに持ち続けることで、夫に対して強い態度で臨むことができると思っています。

離婚まで、あと少し。
がんばれ私。



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ふじこ
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