見出し画像

モラハラか否か

別居して3年以上が経った今、過去のことを思い返すと、「明らかにモラハラ・フキハラだろう」という言動がたくさんありました。

だけど、別居に至る前の私は、「これはモラハラではない」と思うようにしていました。

今日は昔のことを思い出して書いてみます。


発達障害とモラハラ

別居に至る前の私が、「これはモラハラではない」と思うようにしていたのは、夫から「俺は発達障害の傾向がある」と申告を受けていたから。

特性として、相手の気持ちが理解(想像)できない。相手に配慮した発言ができない。そもそも他人に興味がない。周りが見えない。空気が読めない。雑談が苦手。人間関係を上下でしか捉えられない。それが夫。

特性であれば、むしろ本人が一番困っているのだろうと思い、夫がこちらを悪意なく傷つけてくることは「特性によるもので、夫が悪いわけではない」と思うようにしていました。社会生活を問題なく送れているのは夫の努力の賜物で、社会に適合することでエネルギーを使い果たしてしまうから、家庭内でその努力をすることは難しいのだと、自分が傷つけられることを納得しようとしていました。

「変わるべきは自分」という呪縛

夫が家庭内でなるべくストレスを感じずに過ごせるように、生活時間を調整したり、コミュニケーションの取り方を工夫したりしました。「喋り方にイラッとしまうから変えてほしい」と言われて、話し方を変えたりもしました。(結局、それでも文句を言われたけれど。)

「喋り方がイラっとする」なんて、今思えば「知るか!!!」案件ですが、当時は「状況を改善するには、私が努力するしかない。私が変わるしかない。」と、かなり本気で思っていたんですよね。追い詰められてたのか、半分洗脳されたような状態だったのか。

「妻を傷つけている自覚はあるけれど、悪意はないから俺は悪いと思っていない」と、夫は言っていました。

その言葉に対して「自覚的に包丁で人を刺しても、悪意がなかったら悪くないのか?」と返したら「それとこれとは話が違う」とキレられましたが。

夫が無自覚にこちらを傷つけてくることは特性という不可抗力によるものだと納得しようとし、「傷つく」という自分の反応を変えようとしたり、夫がこちらを傷つける言動をしなくて済むような環境を作れないか試行錯誤したりしましたが、結局は自分を追い詰めるだけでした。ちょっと我慢しすぎたと反省しています。

傷ついた自分をなかったことにしない

ハラスメントは、「受けた側が不快に感じたらハラスメント」。
なので、夫がどんな特性を持っていようとも、そこに悪意がないとしても、夫にはモラハラ的な言動があったと、今は疑いなく思っています。

誰がどんな反論をしようと、夫の言動は私という存在を蔑ろにするもので、私は体に不調が出るほど追い詰められていた。夫と一緒に過ごした長い時間で、私はかなり自己肯定感を削られていたことにも気がつきました。夫と距離を取り、自己肯定感を高めていけばいくほど、夫の言動から受けるダメージは大きく感じられるようになりました。

自分で自分を大切にすることを思い出したら、他人から自分という存在を蔑ろにされることに耐えられなくなりました。そして、私が自分を守るために夫に対して毅然とした態度を取るようになると、夫の不機嫌度は増し、ますます夫婦関係が砕けていく。

そんな流れで別居し、夫と物理的な距離が保てるようになってから、「あれは異常だった」と自覚できるようになりました。

茹でガエルにならないために

渦中にいるとわからないものですね。

「その程度はモラハラではない」なんてフレーズを見かけることもありますが、程度に関係なく自分が蔑ろにされるのはモラハラだと思うし、当事者が自覚するのも難しいのに他人がとやかく言えることではないと思っています。「私は、辛い」「私は、苦しい」という自分の気持ちを、何よりも大切にしてあげないといけなかったと思います。

私の場合ですが、「これはモラハラか?」と感じた時点で、相当なダメージを受けていました。後になってダメージの大きさに気がついたので、モラハラは本当に厄介だなと思います。

モラハラは、「茹でガエル理論」が本当にピッタリ当てはまると思っています。マイナスの変化がゆっくりと進んでいることに気づくのは難しいし、気づくのが難しいから危機感も生まれにくいし、気づいたときには対応がもうめちゃくちゃ大変になってるのがモラハラ。そんな気がしています。

離婚を決意した理由は”発達障害”ではない

ちなみに、夫がいうには「ASDもADHDも傾向がある」と医者から診断を受けたそうですが、診断書を見たわけではないですし、通院してる様子もなかったので、ほんとか嘘かわかりません。傾向はありそうだと思ったので、「大人の発達障害」について書いてある本をいくつか読んで勉強し、その過程で「カサンドラ症候群」という言葉を知って、一時的に気持ちは楽になりました。

仮に夫が発達障害だとして、その特性が原因で家庭生活をうまく送れないことに悩んでいたとしても、それが妻を傷つけて良いということにはならないし、妻が夫の特性を我慢し続けなければならないということは、絶対にない。

一緒に改善する方向を向けるならいいですけどね。
夫は「俺は変わらない。俺は変われない。状況を変えたいなら、そっちが変わってくれ。」と言っていたので、「だったら一緒にはいられませんね」という話です。

別居や離婚を決意したのは「夫が発達障害だから」ではなく、「夫と私の関係性では、家庭運営をしていくことが不可能だから」です。

「夫が発達障害なら、妻として支えなければいけないのではないか」という葛藤もずいぶんあったので、どこかでそんな話も書きたいと思います。



いいなと思ったら応援しよう!

ふじこ
サポートしていただけましたら、飛んで喜びます。子どもたちとの日常に、少しだけプラスになるようなことに使わせていただきます。