エッセイ⑤「猫暮らし」
この文章を打ってから3年経って、ふくは現在6歳。
去年1番懐いていた母が突然亡くなって、前よりゴロゴロとわたしに甘えてくるようになりました。
出会った瞬間から、切っても切り離せないご縁の猫さんだな、と思っています。
これからどこへ行こうとも、一緒に生きていきます。
猫飼いあるあるなんでしょうか?
うちの猫はすこぶる健康で今朝も快便でまだ平均の寿命の半分ほどの猫齢(にゃんれい)なんですが、「飼い猫が亡くなる系」の動画やCMが流れてくるとわたしは0.1秒で号泣します。
文字通り声を上げて泣くので、自分でも自分に引いています。
これからもまだまだお互い元気で一緒に、一生懸命生きていくんだってば。
猫が、パソコン画面の角に頬をこすりつけてくる。
これはフェロモンをつける、つまりマーキングの一種らしいが、そのせいでずずず、とノートパソコンが傾いていってしまってどうもキーが打ちにくい。
傾きを直すのも何度目か、猫は満足したようで、何食わぬ顔で上がっていた机を飛び降りた。
机に上ることも、文章を打つのを邪魔することも、どうしてか叱れない。
手で払うところで、こらこら、と言う口元がほころんでしまう。
猫は犬と同じように、人間と長く共に暮らしてきた。
数多くの猫飼いが文筆の世界にもいたし、猫の格言的なものもいくつも見られる。猫に関する言葉がまとめられた本が、コンビニで手軽に売られているのも見かける。
作業を邪魔されることは生活の一部。
わたしの知っている猫飼いはどうにも、みんな猫を叱るに叱れない。
猫は人間と長く住んでいるけれど、彼らの生活に人間は不可侵なのだ。(向こうではどんどん人間の生活を脅かすのだが。)
人間は猫に甘い。
「新聞を読んでいたら、まさに読んでいるその場所にピンポイントで乗っかってくるのよ」、なんて。
文句ではない。
なぜか自慢のようににこにこと話す人がいる。
わたしも例に漏れない。
ベッドから足を出して寝ていたら、あのなんとも健やかで優しい張りの、いわゆる肉球という部分でぺちぺちされることがある。
冷たい、とひとり喜んでじっとしていたら、しまいにあむち、と噛みつかれる。
そんなにわたしの足はかぐわしい香りがいたしましたか。あなたの肉球には負けますよ。
そんな安眠妨害の仕業さえ、にやけながら話す、家族への自慢。
猫は昔はネズミを捕るのに役立っていたという。
今は日本のどの家庭でも、「役に立つから」という理由で猫飼いになるところはないだろう。
役に立つどころか、猫は邪魔者である。
邪魔すればするほど変態的なにやけを人間の口元に作りだす、愛しき邪魔者。いや、猫。
我が家にいるのは、「ふく」というキジトラだ。
雄猫。たぶん、2歳と9カ月。
たぶん、というのは、キジトラという種類からもおおむね予想できるように、彼が元野良猫だからである。
わたしがお墓の裏手を散歩中につまみあげた。
その時、彼は女の片手に収まるほどの子猫だった。鼻をずびずびと常に息苦しそうにしていて、薄汚れていて、なのにやんちゃな鳴き声を上げ続け、その場を立ち去ろうとしたわたしの後をついてきた。
近くに親猫はいなかった。もしいたとしたら、二度と母に会えないよう引き離してしまったのだと思う。
わたしは結局そのふく坊を拾い上げて、母に迎えの電話を入れたのであった。
ふくはかわいい。
片手サイズだった猫は、わたしの腰の高さの机にも乗れるようになった。
そっと顔を近づけ、鼻を突き合わせる挨拶をする。
これが数日前、挨拶をする気分でないところに顔を近づけてしまったため、わたしの左頬には刀傷のごとくひっかき痕ができた。
そんな創作のようにコミカルな経験も、嘆くどころか自慢のタネ。
考えてみれば、猫にとっての邪魔者は、飼い主たるわたしかもしれない。
なにせ、彼の顔を見れば、日に何度もちょっかいをかけたくなってしまうし、夜は掛布団の取り合いになるのだ。
ちょっとした料理のスパイスのように、邪魔者がいると豊かになる日常。
猫にとってもこのわたしが、愛しい邪魔者であることを願ってやまない。
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