エッセイ⑦「思い出偽装工作」
数年前の年末の話ですね。
読み返して笑ってしまいました笑。
年末になると母に大掃除を命じられて毎度憂鬱なわたしですが、こんな楽しいことを書いていたとは!
あの時は母が突然亡くなるとも思わず、「思い出」というなら、そのいつものイヤイヤ大掃除さえ母との大切なやりとりの記憶となりました。
もし今、母が軽い体で我が家のそのへんを漂っているとするなら、相変わらず堂々と飾られている写真を見ては、くすくす笑っているのかもしれませんね。
母の部屋のたんすの上には、わたしと兄の子どものころの写真が飾られている。
元々、居間にあったものだ。
今日、大掃除・窓ふき担当になったわたしが母の部屋に入り、久しぶりにそれらの写真を目にすることになった。
その中の一枚に、わたしと先代の秋田犬が写っている写真がある。
おすわりをする犬を後ろから跨いで、小学生のわたしと1匹が揃ってこちらに笑顔を向けている。
わたしはバスケットボールのユニフォーム姿だ。
いかにもスポーティーで健全、そして爽やかなよい写真である。
初めてこの写真を目にする人がいたら、何を思うだろう。
「バスケやってたんだなあ」
というくらいならいい。
しかし、うっかり、
「活躍していたんだろうなあ」
と思う人もいるかもしれない。
この写真、わたしがまるで自分自身の物かのようにばっちりユニフォームを着こなしている。
ずばり、これはわたしと母の共同作品である。
と、書くと少しおおげさだけれど、要するにわたしはバスケの補欠メンバーだったのだ。
小学校のクラブで女子のミニバスケットボールを1年間だけやっていた。
試合も近くなったころ、レギュラーメンバーが選抜された。
わたしは運動が得意ではなかったので、当然補欠だった。
「それでは、2人1組になってください」
先生が赤いユニフォームを抱えながら少女たちを整列させた。
指示を出され、ほとんどのメンバーがレギュラーと補欠とでペアを作った。
「ユニフォームを配るので、今作ったペアの間で管理してください」
つまり、レギュラーと補欠の2人でその番号のユニフォームをシェアをするということだった。
といっても、補欠の出番がそんなにあるわけがない。実質、ユニフォームはレギュラーの女の子のものだった。
先生は試合で使う前にユニフォームの洗濯をするように言った。ペアになった2人のうちどちらかが家に持ち帰り、洗濯をして試合当日に持ってくる。
「わたしが持ち帰って洗濯してくるよ!」
即座に言った。
改めて振り返ると、ほぼほぼそのユニフォームを着るのはレギュラーの女の子なのだから、他のベアではやっぱり持ち帰るのもレギュラーだったのではないかと思う。
しかしわたしとペアになった子が了承したので(渋々ではなかったと思う。たぶん。)わたしはいそいそとユニフォームを家へと持ち帰った。
母もこれまた行動が早かった。
その日、家に帰ってユニフォームのことを告げると、
「ちょっと」
と言ってわたしにユニフォームを着せ、玄関先へ連れ出した。
ばっちりカメラを携えて。
当時、飼っていた犬は庭から玄関まで自由に行き来できるようにしていたので、一緒に撮ることにしたのだった。
そんなことを、しみじみと思い出した。
意外と打算的な子どもだったのだな、わたしは。
この写真にそんな思い出の裏側があるなんて、見ただけではわからないだろうな。
年末の大掃除のついでにこれ以上余計な思い出を引っ張り出さないよう、ただ無心で手を動かすばかりである。
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