エッセイ⑯「自分との約束」
あの時のわたし、かっこいいことを書いております。
笑顔の練習なんて気恥ずかしい気もしますが、今でも鏡の前で笑顔になることを続けている結果「笑顔が素敵」と言われるようになりました。
それも1回ではなく、何回も。
それだけで得しちゃうんですから、ばからしいと思いつつ、ちょっとやってみると面白いかもしれませんよ。
ちなみに、今のわたしは「変顔してからの笑顔」を練習するようにしています笑。
化粧しているのに最高にひどい顔からのキラキラ笑顔、なかなかいいですよ。
自分自分くらい、サクッと笑顔にできちゃう自分でありたいし、そんな自分だからこそ人を笑顔にすることができるはず!
どんなに辛いことがあっても、自分との約束を守ること。
それは恩師からの教えであり、わたし自身が大切だと感じたことでもある。
一日に一度でいいから、自ら笑顔になること。その努力を、必ず身になることだと信じて、毎日を積み重ねている。
一番初めに体調を崩したのは、地元福島県から上京して最初の年である。
都心の大学に進学したはいいものの、わたしはいわゆる「仮面浪人」というものをしていた。
合格した大学に通いながら、その次の年の別の大学を志望する。晴れて大学生になったことにも喜ばず、楽しまず、わたしは受験勉強を続けていた。
今思えば、中途半端な立場だったと思う。
初めての一人暮らしで、東京で、なのに友達も作らず、わたしはひとりぼっちでひたすら勉強を続けていた。
限界が来たのは、夏休みに入ってしばらくしてからだった。
部屋で動けなくなったわたしを、母が迎えに来た。
わたしは地元で療養することになり、東京での生活すべてを一度、手放した。
二度目は、社会人になって二年目の夏だった。
わたしは大学に復学して、そのまま東京で就職した。病気も克服し、もう大丈夫だと思っていた矢先だった。
急に倒れて、多くの人に迷惑と心配を掛けた。また実家へ戻っての療養。
東京には仕事の他に、大切な人もいたし、友達も多くいた。
またリセット。またすべてを投げ出して健康の回復に専念することになった。
そして、三度目が今回だ。
また同じことになると心配して止める両親を説き伏せて、やっとまた東京で新しい仕事に取り組んでいる最中だった。
夏に入院。そして退院した今も、無理は禁物で療養している。
わたしは何度、すべてを捨てなくてはならないのだろう。
したいことをすることも、自分には許されないのだろうか。どうしてわたしだけ、こんな目に会うのだろう。
努力してきた。自己管理を徹底していた。それでも、体調を崩してしまった。
退院してから、ぼんやりと色々なことを考えた。
考えるうちに、今できることはなんだろうと思いを巡らせた。
これまで努力してきたことは、完全にむだだっただろうか。そう何度も自問して、
「そんなことはない」
そう強く思った。
東京にいる時に、友人に紹介され、わたしは恩師に出会っている。
経済的にも人間的にもとても豊かな人だった。飾らず、かっこよく、厳しい人だった。
その人は、笑わせられるのではなくいつも自ら笑いを生んでいた。
嘘でもいいから、まず笑顔になってみる。笑顔でいれば、周りに明るい人が集まってくる。
そういう姿勢を思い出した。
仕事も健康も、すべて手放してしまった自分が、今何もなくてもできることはなんだろう。
鏡の前のぶすっとした自分を見つめる。
いかにも不幸そうで、不健康で、みじめったらしい自分。
だけれど、とにかく笑顔になってみた。ぎこちなかった。あほらしい。これで何か変わるだろうか。
それでも、続けた。毎日一度は鏡の前で、あるいはスマートフォンのカメラを自分に向けて、笑顔になった。
化粧をきちんとするようになった。笑顔になる自分が楽しそうに見えるようになった。
ぎこちなかった顔が、柔らかくほころぶようになった。
そして今、自分も人を笑顔にしたいと思うようになった。
大笑いでなくてもいい。一日に一度、くすっと笑うこと。口の端だけでも、くいっと上げてみること。
何も持っていない自分が持っている、価値のあるもの。
笑顔には一千万ドル価値がある。
今も遠くから思いを掛けてくださる、恩師の言葉を思い出す。
そして笑顔にされる方から、する方へ。
状況が大きく変わったわけではない。それでも、わたしは結局前を向いた。
何もないということは、これからなんでもできるということだ。
本気でそれを思いながら、一歩ずつでも歩んでいく覚悟を決めて、人を笑顔にしたいという気持ちを抱き、感謝を胸に留め、何度手放すことになろうとも、その手でもっと大きなものを掴む努力を、今わたしは始めている。
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